アーカイブ: 2010年10月03日

1300年前、犬山城下まで海だった

パーマリンク 2010/10/03 23:47:41 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 古地図(復刻版)「尾張国 養老元年之図」。
 1300年ほども前の絵地図を見つけた。

 木曽川は犬山・三光稲荷山を河口にして、海に注いでいる!
 岐阜・井ノ口の金華山(稲葉山)から、坂祝・うとう坂までが、
 伊勢湾につながる東海湖の、波打ち際であった、と読み取れる。

 つまり、今の各務原市の平坦部:各務原台地も水面下に。
 古地図では、帆掛け舟が、行き来しているさまに描かれる。

 東島、大島、中島、平島、内島、西島、北島、佃島、・・。
 今も地名に残る名前の「島」が浮かんでいるのが、見られる。

 その海原の南に 中島郡一ノ宮、尾崎、下津は 大きな島だ。
 枇杷島、沖ノ島、津島、長島が 点在する島で描き込まれている。

 広大な濃尾平野が、わずか1300年間で、人の手で稲作、畑作ができ、定住できるほどとは、犬山や岐阜からは、数十キロ先まで、遠浅の海原だったと想像できる。


 この平城京:奈良時代から、わずか1300年の間に、
 急峻な木曽川の流れは、大量の土砂を運び、犬山扇状地を形成し、巨大な洪水を繰り返し、その流路を変えながら、濃尾平野を造り出してきた。

 1300年間を、数倍速で早送りできる映像があったら、地球の大気の気象、大地の地質地形と、水の営みが展開する、壮大なドラマに魅了されることだろう。

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