本町橋は 名古屋城から城下町へ。
本町通りを南下して熱田神宮・宮の渡しから、
陸路東海道へのメインストリートへの出発点。
東海道五十三次風なら、
本町橋はナゴヤの「日本橋」。
富国強兵、殖産興業の明治の国策(国家戦略ビジョン)。
瀬戸を生産集積地とする(輸出もの)陶磁器製品。
いわゆる名鉄瀬戸電といわれた鉄路は、
外堀の東側の土居下から、大津橋、本町、堀川へと、
空掘りだった「外堀」の中を通した。
本町橋では橋脚間が狭くて、
線路が4本敷かれる変則的な単線で列車をくぐらせた。
瀬戸からの輸出瀬戸モノは、終点「堀川」駅へ。
堀川(運河)に着けた荷舟に積み替え、下らせて、
宮の渡しの先・名古屋港へ。
外航船に積み替え、七つの海へと輸出された。
輸出立国の雄・陶磁器貿易の立会人が「本町橋」