ひとり扇風機のいろいろに驚いたが、
パソコンの前で、
USBジャックにつないで ひとり扇風機には、脱帽・・。
中学校の通学路の交通安全・防犯強化について、施設維持管理改善施工要望書提出の相談を受けた。
当該中学校の、しかるべき担当の方はこの4月着任で日が浅い(?)とか。
ン年前(たぶん10年以上前らしい)に制定した「指定通学路地図」らしきものなどから、机上で要望事項の説明を受けた。
地区のPTAの皆さんからの要望があり、その御意見を聞いて、周囲の環境は承知しております、と(!)。
まるで永田町の偉い先生のお言葉並み。
土木施設維持管理。交通安全対策の緊急施工等要望書・付属説明資料は、まるで霞が関へ申請してもすぐに受理されるほどに整っていた。
<書類の類いを拝見し、御趣旨を承わっていて、
居心地が悪くなった・・:>
ここ数年間の、通学路の周辺の様子について。
通勤車両渋滞状況、渋滞時の通過車輌の抜け道ルート、住宅新築での見通しがいちじるしく悪くなった辻、防犯灯設置の位置と明るさの効果などに、何となんとも、不案内なこと(!?)・・。
つまりは、生徒たちの町内で友だちと落ち合い、そこから学校までの、通学経路などは、学校に備え付けの地図書面と、インターネット地図で確かめております、と。
まして登校時間帯に、あるいは下校時に、どこの道(ルート)を通っているか。
子たちが自分の身を守るために、交通事故防止、不審者出没など防犯上、時間帯により、天候により、安全なルートとしているか・・・:
残念ながらそんな視点で通学路を設定してはいないようだ。
大型トラックが通れないだろう道路、なるべく真っすぐな見通しの良い道路だと“通学路として安心ですから”という。
生活指導の歴代担当の先生方の記録データの蓄積も、無い模様。
< きょう一番 びっくりしたことは・・: >
担当者ご自身が、登校時下校時のその時間帯に、自分の足で歩いて、現場現況現物を「自分の眼と足で」確かめたことが無い!のだった。
最高指揮官たる校長先生が自分でやれとは言わない。
補佐・参謀役までもが、現況現場を把握・分析せずに、机上で想像し作戦を練るなど、もってのほかではないか。
思わず声を上げた・・・
「仕事をしています、行政に要望しております」プロセスのアリバイ作りにすぎないのではありませんか。
これが、こんな「作業が」教育現場なのか。
ゼブラゾーンのペンキ上塗りなど、目に付いた危険因子を潰すことだけが、通学路安全安心の対策か。
これが 犬山の子は犬山で育て、犬山で守る、ことなのか。
子どもたちを守る、子どもたちが自分で身を守れるように気付かせる。
子たちが危険を予知し、判断し行動できるように環境を整えてやること。
「学ばせる」「教える」「身につけさせる」。
それが教える、育てる「教育」ではありませんか・・。
夏もの バーゲンセール たけなわ。
ふた昔前なら、8月に入り立秋の日が過ぎたあたりから、夏もの一掃・バーゲンセールだったのに。
このごろは、お中元(7月15日ごろ)から、早々とクリアランスセールに入っていく。
暮らしのカレンダー、気候のあんばいなどお構いなし。
売り手側の論理というか、言葉は悪いが、
欲得とご都合で進んでいくのかなあ。
梅雨明けのカンカン照りで、やっぱり一枚買い求めようかな、という向きにはちょうど都合よく安く手に入る。
・・・なにか、腑に落ちないというか、
正札・定価で買い求めた人たちが、かわいそうな・・・・。
「 音感 」
音感は 歳とともに鈍るのかなあ。
幼な児の 音感の良さに、脱帽するこのごろ。
梅雨明け10日。
こんどは ゲリラ豪雨の登場。
24日に 1~2時間。
土砂降りの雨。 ご近所で道路冠水も。
そして25日。 またまた 土砂降りの雨。
何たることや。
第23回 小牧平成夏祭り・小牧七夕まつり
暑さ真っ盛りの中、夕方からはじまった。
目玉は 弘前ねぷたを模した、ねぷた山車など21団体の山車行列パレード。
参加者全員の「よさこい総踊り」「ハネト総踊り」「和太鼓演奏」でオープニングイベント。
梶原景時公顕彰会(犬山羽黒・興禅寺)も弘前ねぷた型の 扇ねぷたで「梶原景時公の若き雄姿」ねぷたを繰り出して参加した。
2日目の7月24日には、フィナーレイベントに、
「手筒花火」「アメリカ花火」「和太鼓演奏」がある。
台風一過。
土用の丑の日。
今年の 初セミを聞いた。
アブラゼミ、クマゼミ 一緒に聞いた。
頭を出した 抜け穴も、仲良く見つかった。
まだはしりのようで、にぎやかと言うほどの数では無い。
【写真】 いずれも小弓の庄の庭にて。7月22日撮影。
小牧商店街の「小牧七夕祭り」が43回目を迎える という。
「小牧平成夏祭り」が、夏の市民祭としてかぶさってから23回目。
今週7月23・24日。
呼び物の 「行燈山車(ねぷた)行列」に 今年は25団体が出場。
多少の雨にも決行!と意気高い。
「よさこい総踊り」「ハネト総踊り」
「輪転太鼓」「和太鼓」
「手筒花火」「アメリカ花火」
「ブラジルサンバ」「マジックショー」・・と多彩。
・・台風一過 さわやかな秋風・・、
といきたいが、7月では ちょっと無理。
それでも 少しはすっきりした、青空が顔を出してきた。
それにしても 妙な気象、気候がつづくなあ・・。
あしたには、クマゼミの鳴き声が聞けるかな。
7年ほど使いこんで来たインクジェットプリンターが故障した。
あちこち修理を試みたが、ギブアップ。
家電屋さんへ修理持ち込み。
結果は、「型式が旧く ただいまはもう製造しておりません。
純正部品も揃えられません。」
追い銭を払えば、同等性能の型式プリンターと取り替えます、と。
してやられたり!の気分。
結局 追い銭で丸ごと引き取り、同等性能機種と入れ替え。
数日待たされて、入れ替え作業。
簡易梱包も進んでいたが、まだまだ改善改良の余地あり!
2011.7.17.独・フランクフルト。
女子サッカー ワールドカップ決勝戦。
VS 実力ナンバーワン・アメリカ
(白人系中流社会の子女に人気の スポーツ)
試合は1-1で延長戦へ。 2-2でPK戦へ。
3X-1で、PK戦を勝ち上がり、ついに優勝!金メダル。
ゴールドのW杯を掲げて、勝ち取った頂点を喜ぶ。
「最後の最後まで 決して諦めない」
「結果が出るまで、やり続ける」
「東日本大震災を撥ね返してがんばる人たちに、
やり遂げるまでがんばることを教えられた・・」という、選手の言葉が重い。
キャプテン・澤 穂希選手の根性・情熱、リーダーシップ、実行力は、今の日本の政治・行政・経済・社会・教育・・に絶滅してしまった魂・意志・理念の権化。
その澤選手の決意表明は、「結果!!!」
その結果は、2011W杯でのMVP & 得点王。
(なでしこjapan代表 国際Aマッチ得点80goal!!)
優勝の瞬間、熱狂するサポーターの若い女性の雄たけび・・
なでしこジャパンは「有言実行の女」たちだ!!
株主総会シーズンが終わると、
名証 I R エキスポ(2011)の開催となる。
「名古屋証券取引所に上場する企業が、投資家向けに業績や経営戦略などを説明し、最新のIR情報を発信する場」と主催者。
ことしの来場者の顔ぶれを見るに、高齢者の個人投資家の比率が高い気がする。
自分でIR情報をインターネットで取りにいくには、ちょっと縁が無いとお見受けする投資家さんが熱心に各ブースを丹念に回る景色と言おうか・・。
説明者はIT、液晶パネルを駆使して、ポンポンとIR情報を説明していくが、そのテンポの速さが、投資家に咀嚼する時間を差し上げているかどうか、心配なブースもうかがわれる。
ご縁の深い企業のブースには、こちらも思わず力が入るなあ・・。
小弓の庄。
羽黒まちづくり情報コーナーに、なつかしい 旧い写真。
昭和28年(1953)撮影の、丹羽郡羽黒村立・羽黒小学校。
実はこの年、自分が卒業し、
画面の右手に続く、中学校へ入学した。
あれから60年近くになる。
このごろは毎年開くクラス会では、定番のなつかし写真。
写真の校舎は南舎の東半分。 これと同じ北舎が後ろに。
黒松の梁、柱、床板壁板。毎日雑巾掛けをした。
運動場は、毎週全校生徒が横一線に何重にも並んで、
「よーい!始め!」の号令で、小石・草取りを素手でやった。
いま、思うに、孫たち・ひ孫たちには、
芝生の運動場にしてやりたい!のだ。
もちろん手入れは、児童たち自らが、素手でやること。
教職員はもちろん、父兄など大人が手出し口出しは無用。
一年中を通して、子どもたちが、智慧を絞り助け合って、
自分たちが使い、地域の人にも使ってもらう、運動場や校地を自分たちが手入れし使うことを6年間続ける学びと実践を続けてもらいたい。
読み書き、そろばん、知能・技能も大事だが、
徳能徳育の最強の体験は、トイレ掃除・生きもの育てと、
運動場・どんぐり広場の清掃・管理が公徳しつけの真髄。
羽黒小学校に、古い写真が残っていると聞いてはいたが、
最近その複製に出会った・・。
撮影は大正12年(1923)。88年前の米寿もの。
明治6年(1873)「小弓学校」としてわが家の近くに開校した。
地元坂野市十郎さんの自宅地内に起こされたと聞く。
明治22年(1891)に、五条川南側の八幡林の松林一帯の、
おおむね現在地一帯に、小弓学校は新築移転をしている。
明治42年(1909)「羽黒尋常高等小学校」と改組改称される。
そして撮影されたのが大正12年(1923)。
滑り台、運梯など遊具(体力つくり器具?)が、
村人の勤労奉仕で造られているように見える。
写真中央の大きな樹は、羽黒の大松と言っていた松。
自分が小学校を卒業したあと昭和29年(1955)ごろ、
天寿を全うして、伐り倒されたのを想い出す。
明治の中頃のおじいちゃんも、明治後期の親爺も、
自分も、子どもも、孫も、同じ校地の学び舎に学ぶ幸せ。
「いちじく」の実。
ことしの生育は こんなものだったかなあ。
東京オリンピックが過ぎた頃かな、
(たぶん鉄・造船・自動車の輸出振興のバーターで)、
オレンジ、大豆、小麦など農産物自由化の波に飲まれた。
矢作川下流部の、麦秋の田園地帯(安城・碧南など)、
いちじくの畑が増えていった、と記憶する。
当時、まだ若造だったので「なんで美田を潰すのか・・」といぶかうばかりだった。
いまでは国内いちじく産地の日本一地帯。
いちじくは日持ちが短い果物なので、輸入輸出に向かない。
ヴィタミン、カリュウム、何よりも食物繊維が多い。
かぶりついたときの食感が またいいものだ。
原産地アラビアとか。
不老長寿の果物といわれるが、そのみのりが待ち遠しい。
梅雨明け10日のカンカン照り。
「毎日 暑いですねえ。」
「ことしは未だ セミの声を聞いておらんなあ。」
言われてみれば、そう、「未だ聞かないねえ・・」
野菜の育ち方も でこぼこだし、セミもどうしたのかなあ。
夏雲が 朝っぱらから、どんどん増える・・。
8月7日(土)~8日(日)
羽黒の 夏祭り。
主なプログラムの 時間割スケジュールが出た。
トップバッターは 恒例の和太鼓演奏。
羽黒児童センターの 子たち。
ゆうべは寝苦しかった。
明け方の気温も 26℃くらいにしかならない。
朝から 蒸し暑いこと。
朝方から、もう 積乱雲がつぎつぎと出てくる。
午後一番には、満天雨雲に覆われ、
雷、土砂降りの通り雨となる。
夏野菜には 格好の水遣りとなったが、
洗濯物がずぶぬれになった・・
梅雨明け10日は雨降らず。
梅雨が明けると、10日間ぐらいはカンカン照りが続く。
入道雲の発生で、夕方やら夜中に土砂降りに見舞われることも多いが、太平洋高気圧が安定して張り出して、風雨は安定する。
若いころ、山登りに挑戦もした。
飛騨側から北アルプス・槍ヶ岳に出かけた時も、
この梅雨明け10日間の時期を狙ったよなぁ。
梅雨明け宣言後、
一気に夏が来た。
朝から カンカン照り。
こりゃあ 暑いわい。
お山の向こうの 明治村。
きょうは日焼けするだろうな・・。
池の端、風邪の通り抜ける木陰で、
昼寝もいいな・・。
7月9日 梅雨明け宣言が出た。
この地方では7~10日は早い。
七夕さんが終わったら、すぐに梅雨明け。
敗戦後 しばらくの時代には、よくあった時期だが、
この頃では 早い。
秋を想わせる 青空と雲型が 出ている・・。
何がきっかけだったか忘れた・・
10何年か前、たぶんヒョンなことから、ゴーヤーの苗を植えた。
にがかった。 ただ 苦かった。まさに「ニガウリ」。
苦味をやわらげる調理に 苦労をかけた。
その後、突然に、身近な人が沖縄へ移住していった。
ご当地料理というか、わが家でも、ゴーヤチャンプル、ゴーヤサラダ、酢の物、おひたし・・と 次々とメニューが増えていった。
2001年だった。 NHK朝の連続TV小説「ちゅらさん」では、ゴーヤチャンプル、ゴーヤマンも 愉しかった。
(アメリカ同時多発テロ:9.11も この年だった)
狭い菜園にゴーヤのすだれが増えていく。
一株から50個どころかそれ以上に採れた。
ゴーヤーは、生命力が極めて強い野菜。連作は不向き。
狭い菜園で10年もやっていると、いまさら50個、100個採りの豊作は望めない。
それにしてもJA沖縄経済連さんは、5月8日を「ゴーヤーの日」の名付けがいい。
この地方では「ゴーヤーの日までに植え付けよう!」だが、
沖縄では 出荷最盛期の入るところで、
「沖縄で当たり前に食べているゴーヤーを、本土でも食卓へ普及させよう!という狙いがあったとか。
健康のためゴーヤージュースを飲む(飲まされる?)季節が来た。
7月7日は ゴーヤの日・・。
わが家では 七夕の頃 ゴーヤの初収穫が いつものこと。
だからゴーヤは7月7日の七夕さんの日は、ゴーヤの日だった。
ことしは、様子がおかしい。
主たる茎にこそ、花が付いたが、雄花がずらり。
脇芽というか、支茎に花が付く前に、七夕さんが来てしまった。
一週間ぐらいは誤差のうち、か。
しばらく 様子を見よう。
夏至、七夕の季節。
「2011 羽黒の夏祭り」~第15回 光と希望~ が 近づいてきた。
日時: 8月6日(土)・7日(日)
16:30 オープニング (小雨決行)
場所: するすみ ふれあい 広場 (犬山市民文化会館 南隣り)
(犬山市 羽黒磨墨)
【主なプログラム】
◆ 羽黒小学校・東小学校 ファイヤーダンス
◆ Chieko & Hirose Mari ライブ
◆ モダンバレエ
◆ 親子でダンス
◆ 納涼ぼんぼり
◆ ビンゴゲーム
【主な出し物】
◇ 東部中学校・南部中学校 吹奏楽演奏
◇ 羽黒地区子ども未来園・羽黒地区各児童センター:
一輪車&おどり
◇ アンパンマン広場でトーマスにのろう!!
◇ 起振車体験
◇ グランドゴルフ ホールインワン
◇ 羽黒ねぶたパレード
◇ 尾張太鼓・響き太鼓 演奏
◇ 羽黒城址(竹林公園)の ライトアップ
【露店・屋台】
ことしも たくさん出るよ・・
行燈。
和紙で手づくりした行燈。
実はこの和紙、竹の紙漉きから作った労作。
”竹紙行燈”と名付けられた。
作ったのは地元の まちおこしグループ。
絵は 地元出身の童画(?)家:にわぜんきゅう さん。
お地蔵さんの絵ばっかり描いてる にわぜんきゅう さん。
”竹あかり”と名付けて、
なにかイベントがあると、現れる。
このまちの人気者。
訪問先様の玄関先で見かけた花。
グラジオラス。
夏の花。 夏の園芸種。
なぜか 赤い花が多いような気がする。
子どもの頃にも見かけた花:グラジオラス。
西洋の花と教えられたが・・。
最近 園芸屋さんには 色とりどりの品種のグラジオラスが。
お行儀よく2列に並んで、下の方から咲いていく。
育てやすいのが また人気らしい。
多年草だから、また来年も咲くだろう。
今日も暑い日。
日が傾きはじめたころ、にわかに通り雨に見舞われた。
犬山羽黒:まちづくり活動拠点施設の「小弓の庄」
羽黒げんき:七夕まつり2011ミニコンサートが、
7月2日 19時から小弓の庄中庭で。
”まりっぺ”こと広瀬まり・唄 中川佳子・演奏
七夕まつりミニコンサートは、恒例となり、
中庭からあふれて立見席も出る盛況。
一雨降ったあと、ちょっと涼しくなり、
そよ風に 蚊取り線香の煙りのゆらぎも一興。
広瀬まり Hirose Mari ミニ・コンサート。
あす7月2日(土)19:00~20:30
犬山・羽黒「小弓の庄」特設ステージで開かれる。
ボーカルであり、サックス奏者として活躍中の広瀬まりさん。
この頃は愛知北FM放送(まちの放送局)でパーソナリティとして、軽妙な語りで大活躍中。
キーボードには 中川佳子 Nakagawa Yoshikoさん。
広瀬まり・中川佳子の御両人は、
「みんなで楽しい時間を創る」をコンセプトに活躍中。
ジャンルを問わず、感謝、愛、幸せの想いを感じて唄う、
温かな唄を お楽しみください!」と。
このコンサートは、「羽黒げんき」が「小弓の庄」と合同企画で毎年七夕の日にちなんで、「七夕かざり&たなばたまつり 2011ミニ・コンサート」として開催される。
小弓の庄のホール内外には、地域の子ども未来園の子たちが、願いごとをたくして書いた短冊がたくさん飾られてにぎやかなこと!
主催者のことば・・・:
「わたしたちは”はぐろげんき”をあいことばに、はぐろのまちをげんきにするかつどうをしている会です。
ささやかですが、てづくりの”たなばたまつり”を きかくしてみました。みなさん、ぜひきてください」
参加は当日小弓の庄へお越しください。
参加費は”ワンコイン”であねがいします。お菓子とお茶も出るよ。
おといあわせは:羽黒 小弓の庄 0568-68-3767