アーカイブ: 2013年3月

3月25日 中沢新一さんに会う

パーマリンク 2013/03/31 10:35:11 著者: y-ishida2 メール

宗教家・思想家・哲学者の肩書を持つ中沢新一さんと懇談。
まず、何故会いに行ったかから始める。かねてから日本の伝統的な祭に強い関心を持っていた。愛知県議会議員の時、「犬山祭保存会」の会長に推された。犬山市長選挙の時、敬愛する先輩から市内の神社を全部参拝してみなさいと言われ、実行した。などから大きな示唆を与えられ、日本人と祭について深く考えるようになった。そして、柳田国男の「日本の祭」を読み、日本人の信仰心と祭りの関係を知った。多少民俗学の勉強をし、犬山祭保存会会長の実践あるいは犬山市長の公務を通して、日本の祭に関する思考と見識を深めた。結果、数年前から、この不透明な時代の局面を打開する一つの切り口として、祭の伝承を復活しなければいけないという使命感のようなものを感ずるに至った。
そういう話をたまたま谷岡郁子参議院議員に話したところ、彼女が学長を務める至學館大学で祭に関する研究でもしてみないかということになった。私は、祭の実践者としての自信はあるが、理論的カリスマが要るということで、中沢新一さんが浮かんだのだ。谷岡さんと中沢さんは親しいから紹介するという。
だから勇躍、会いに行った。
2時間ほど時間を割いていただき、充実の時間だった。私の今までの知見の上にたくさんのヒントがあったが、とりあえず今日は一つだけ、中沢さんの主張に共鳴したことを述べる。
グローバル資本主義は、金融資本がモンスター化し、世界は崩壊の方向に進みつつある。この動きを阻止するのは、政治によるレギュレーション、調整機能を発揮すること。もう一つは、ローカリズム。私の言う「ふるさと主義」だ。そこに祭の出番がある。祭の本質は、先祖帰り。一族の神である氏神や地域の神である産土神への回帰が岩盤にある。
中沢さんと対話して、体験から得た私の考えは概ね間違っていないという自信がついた。どこまでやれるかわからないが、楽しい気持ちで、やれるところまで頑張ってみる。

3月11日 震災の日

パーマリンク 2013/03/14 08:55:49 著者: y-ishida2 メール

東日本大震災が起きて2周年を迎えた。マスコミは震災報道で充満している。
私も再度このテーマを考えてみる。
津波による被害と福島を中心とする原発の問題とは、明確に分けて考えなければいけないのではないか。津波による被害は、自然災害。日本列島の宿痾みたいなもので、被災者の方には冷酷な言い方になるかもしれないが、避けられない運命だった。
一方、福島の原発事故は、誰が何といおうと人災である。中央政府と自治体の意思があの結果を招いた。正直言ってあの事故が起きるまで、私は原発容認派だった。衆議院選挙でも、中部電力の支援を受けるため、原発に賛成の署名をした。しかし今回の事故を経験したがゆえに、私は現在絶対原発を認めるわけにいかないと思っている。いまだに容認する人も大勢いるが、私は反対だ。
私は私なりに様々な人の意見に耳傾けた。その中で、最も興味深い視点を突いた著作が貝沼博著「フクシマ論-原子ムラはなぜ生まれたのか」だった。
日本は1895年台湾総督府を設置、1945年の敗戦まで資源や経済格差を求めて海外へコロナイゼーション(植民地化)を展開した。そして1945年以降は、国内に方向転換し、貧困な田舎が中央政府によっていわば植民地化された。福島の原発がその例という指摘である。中央集権体制の下では、霞が関のやることは間違いないという観念、構造化されたパターナリズム(親父の言うことは正しい)という考え方に村自身も寄り添っていった。国の交付金への依存症経済は中毒性をもち膨張を続け、被害者が知らぬ間に加害者の片棒を担ぐことになった。と、筆者は言う。
被災地で、原発賛成派がいまだに当選する現実を見るにつけ、何をか言わんや。

3月7日 伊勢神宮

パーマリンク 2013/03/11 10:34:20 著者: y-ishida2 メール

私は現在中部大学の中部高等学術研究所に籍を置いているが、それはこの研究所のテーマである「持続可能な発展への教育」を研究するためである。
その一つに伊勢神宮の式年遷宮があると思ったので、伊勢神宮にある「せんぐう館」館長の小堀邦夫さんを訪ねた。伊勢神宮は今更言うまでもないが、天照大神を祭り、「古事記」・「日本書紀」に書かれているように、わが国の神話世界から、今の平成天皇に至る日本史が一本の線になって通った世界史上例を見ない四次元空間である。
私は、犬山市長に立候補するとき、ある人から、市内の神社を全部回ってみなさいというアドバイスを受けた。75000人口の犬山市に65ほどの神社があり、どの神社もまことにきれいに清掃され美しく祀られていた。私はその時、日本人というものの一端を掴んだ。ふるさとの神社はわれわれの氏神様、産土神様が眠る場所なのだ。鎮守の森なのだ。    日本中の神社は20年に一度立て替えていたらしいが、現在それができるのは、伊勢神宮だけになってしまった。と、小堀さんは言った。20年に一度立て替えるためのすべての素材を自力で調達できるのは伊勢神宮だけになってしまったということらしい。代表は米だ。税も米で納めたものだし、今でもお供えはすべて「初穂料」と呼ぶ。
小堀さんは「神道とエコロジー」について、ハーバード大学で講演をし、その時のタイトルが、「弥生アプリケーター」という。弥生の稲作文化の再生こそが、エコロジーであるという意味か。西欧文明と比較し、どうこうという議論ではなく、「日本はこうだ!」という明快で、健全なナショナリズムと小堀さんの話を理解した。闇を割く日本刀の一閃を見たような印象を抱き帰途に就いた。
頂いた「魂の源郷」という詩集を読むのが楽しみだ。

3月5日 東京オリンピック

パーマリンク 2013/03/07 09:27:07 著者: y-ishida2 メール

オリンピックの開催を決めるIOC視察団が東京に来ている。オリンピックなどやる前にもっとやるべきことがあるだろうという気もないではなかったが、最近考えが変わって、オリンピックを東京でやるのも悪くないと思うようになってきた。
まず、東京でやる発想に抵抗を感じていた。が、東京という大都会は、なんだかんだ言っても、日本民族の今の自画像だ。「都会は人間が作り、田舎は神が作った」というが、東京は、世界に見せるメイド・イン・ジャパンの総合力。それが、私の考える東京でオリンピックを開催するモチベーション。
次に、スポーツという文化について考えたい。私は、昨夜もWBCの野球観戦でテレビに齧りついたし、一昨日は、琵琶湖マラソンに我を忘れた。スポーツは最高のドラマだ。マラソンを見ていたら、「最後までねばる」という言葉を何度も使っていた。どんな状況になっても投げ出さないという忍耐力のことだ。野球もチャンスとピンチは表裏一体、紙一重。私は、相撲も好きだ。相撲の醍醐味は、一瞬にして少が大を食う所にある。すべてのスポーツは、人生のメタファーだ。我々はスポーツを見ながら自分自身の人生の浮沈を重ねる。あるいは、希望をつなぐ。だからハイレベルの勝負に一喜一憂することは、上質な人生そのものだ。
そう考えたら、東京オリンピックの実現を願うようになった。支持率は70%に達し、決定は秋という。

3月2日 ふるさと清流会

パーマリンク 2013/03/04 14:42:04 著者: y-ishida2 メール

「ふるさと清流会」の市民講座、講師は「みどりの風」代表谷岡郁子さん。
谷岡さんとのお付き合いは、愛知万博がきっかけだった。そもそも愛知万博は高度経済成長時、開発志向、大型イベントなどのいわば、第二の大阪万博を狙ったものだった。それが21世紀に入り、万博のコンセプトは地球環境にシフトされ、「持続可能な発展」というテーマが浮上してきた。その方向転換をしたグループの一人が谷岡さんだった。谷岡さんのそこに関心を抱き、友人を介して会いに行き、それから以来のお付き合いである。  
彼女は、もともと学者であり、大学の経営者であり教育者とマルチタレントであったが、参議院議員になり、昨年わが国で初めて、女性だけの政党「みどりの風」を立ち上げた。常に新しい次代を拓くパイオニアの一人だと思っている。
そんな私の期待に応え、いい話をしてくれた。話というものは、人物から紡ぎだされるものだ。だから、話はその人物の自画像だ。絶えず何かに挑戦する生き方をしていれば、必ずその人の話は、新しいものになるはずである。民主的な先進国として、今後の日本を成熟させていくパワーは女性の社会進出と発言にあると思っている。そういう観点から今日の谷岡さんの話は意味があった。
講演会の一部始終は、「ふるさと清流会」でネット検索されたし。ユーストリームでご覧になれます。

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