アーカイブ: 2013年1月22日

1月22日 体罰について

パーマリンク 2013/01/22 11:18:06 著者: y-ishida2 メール

大阪市立高校の体育部で、体罰が原因で一人の男子生徒が自殺した。初めは体罰論争から始まったが、橋下大阪市長が教育委員会の体質に論点を進め、教育論争になった。
私は大学受験時代体育の教師を目指したので、この「体育と教育」のテーマは極めて身近な問題意識としてとらえた。体育の教師にはなれなかったが、犬山市長時代、教育行政にプライオリティーを置いたし、政府の中央教育審議会委員も務めたし、衆議院の文部科学委員でもあったから、教育行政は専門家であると自認している。
体育という教科は他の科目にはない美徳がある。それは集団生活の協調性を養い、利他の道徳を教える。人生にとって重要な忍耐の精神も鍛える。私は常に今の日本の教育制度の中で、受験勉強の弊害の最たるものは体育教育の軽視であると思ってきた。
が、この体育の教師の中に体罰を正当化したい人がかなりいることにかねてから抵抗を感じていた。「Education」を「教育」と訳したのは福沢諭吉と聞くが、「学習」と訳すべきであったという説がある。その通りだ。教えることではなく学ぶ行為が力となる。われわれが、何かを身に着け、成長する最大の原動力は自ら獲得に行こうとする自発的な力だ。内発性と呼んでもいい。それは楽しみを希求するエネルギーだ。体罰という外からの強制力は内からの自発性にかなうわけがない。
私はスポーツを愛する者として、肉体と脳の関係を熟知してきた。人間という生き物は脳細胞が理屈として納得しなければ、肉体の進化は持続不可能だ。有能なアスリートは必ずその原理を知った者であり、体罰の是認者は所詮二流の筋肉マンにすぎない。
教育界に、徹底した体罰の否定論を投げかけ、そのための行政改革を求めた橋下市長の主張を私は支持する。

1月21日 おちょぼさん

パーマリンク 2013/01/22 09:41:59 著者: y-ishida2 メール

昨日の続きを書く。伊藤県会議員の後援会に出て帰り道、海津市にある「千代保稲荷」に参拝した。京都の伏見、愛知の豊川とともに日本の三大稲荷神社として有名なのだが、私はこの「おちょぼさん」だけは今まで訪れたことがなかった。昨日のテーマである「ローカリズム」私流に日本語にした「ふるさと主義」から言うと、神社こそがこの「ふるさと主義」のランドマークなのだ。
さすが「おちょぼさん」、門前市を成す繁盛ぶりで参拝したことが何となく気分がよかった。正月、日本列島津々浦々、澎湃として参拝の日本人でふるさとの神社は溢れる。何故だろう?これがローカリズムの源泉なのだ。理性ではない、われわれの遺伝子に組み込まれた本能に近い行為なのではないのか。毎日の忙しい仕事と生活に流され忘れているが、われわれの内には、ふるさとへの回帰、ローカリズムが自動的に組み込まれている。

1月20日 大垣市にて講演

パーマリンク 2013/01/22 09:40:07 著者: y-ishida2 メール

大垣市選出の岐阜県議会議員伊藤秀光という私の友人がいる。私が犬山市長当時、全国で開催される地方自治に関する勉強会でよく一緒になり、まじめな勉強家で好ましい政治家像を抱いてきた。その伊藤さんが、1年に一度の後援会総会に私を講師として呼んでくれた。
初めは気楽に考えていたが、よく聞いてみると、今春行われる大垣市長選挙に立候補する予定という。4期目を目指す現職への挑戦だ。これは私もそれなりの覚悟をもって演壇に立たねばならぬと心を定めて大垣に向った。
ただ、1月の今の時点からいきなり選挙の話に入るのはオーバーペースのきらい無きにしも非ず、今日の話のタイトルを「今こそローカリズム」という私のかねてからの持論と決めた。この「ローカリズム」という言葉は、今や世界中の政治・経済の不安定要素の原因となっている「グローバリズム」への批判論であるが、これを「ふるさと主義」と異訳した。
グローバリズムが資本主義と結びつき、人間の際限ない物欲を野放しにしていることが諸悪の根源と私は考えている。この弊害を抑制するためには、今や、健全なナショナリズムか宗教の出番ではないだろうか。「風土」という言葉を使ってもいい。そういうものを分かりやすく私は「ふるさと主義」と呼びたいし、私はこの価値観は犬山市長を12年経験して人生観と成した。その話をした。そして市長とはこの「ふるさと主議」の先導者であり、市長選挙とは皆さんとふるさとを、先人から引き継ぎ、未来へ渡すバトンタッチだと思うと、語った。
選挙には一般論として少々触れた。自分の経験と学習から言えることは ① 4年に一度は対立軸を立てて市民が政策論争をする。 ② 市長は長くても3期で新陳代謝し、政権交代するのが民主主義のルール―である。一人の権力者が長々と何時までも君臨し続けることは後進性のメルクマールとなる。
などを述べた。聴衆は主催者発表では1000人ということであった。今後、現職側の反応やいかに。
4月に向かって大垣市が熱くなる!

1月19日 女性首長を実現する会

パーマリンク 2013/01/22 09:38:16 著者: y-ishida2 メール

名古屋で「女性首長を実現する会」が発足した。
会の発起人である高野史枝さんから案内が来て、来賓として出席。高野さんは「男女協働参画社会」の推進者の愛知県のトップリーダーであり、私も以前からずいぶん影響を受けている。
「男女協働参画社会」とは、私はちょうどベートーベンの「第九」をイメージしている。あの「フロイデ」は全く男と女が半々で、男の声だけでなくまた女の声だけでもなく、男と女の混成合唱でしか生まれない感動世界だ。私は「男女協働参画社会」の熱心な推進論者である。
まずスタートの今日は、愛知県内の女性議員を含め、各種女性運動団体のリーダーが20名ほど集まった。来賓は、私と「みどりの風」代表谷岡郁子参議院議員の二人であった。だから、新聞記者2名以外男は私一人。
私は、東京財団の研究員をしていた当時、欧米先進国の地方議会を視察研究し、日本の地方議会、地方議員に女性の少なさを痛感した経験を語った。女性がもっと積極的に政治世界に進出すべきというのが私の論点である。
全員で討論になった。私は出来る限り黙っていようと思っていたが、皆さんあまりにも理論や理屈の発言ばかりのような気がしたので堪えきれず持論を言わせてもらった。「社会に向かって何か言いたいことがあったら、まず誰か一人選挙に立候補することです。世の中に優秀な人は多いが、今の立場を擲って、政治をやろうという決意と覚悟に大衆はついていくのだから、まず我と思わん人が立候補することです」と。
今日集まってきた人達はインテリジェンスに富み、言うことは、すべて納得できるのだが、言うだけではなかなか事態は前進しない。具体的に選挙で一人候補者を立てて、その候補者のもとに女性の潜在能力をアピールすることだ。「その点で、もうじきやってくる名古屋市長選挙をどう考えるのか、皆さんの代表として独自候補を立てるのかどうか真剣に議論しなければいけない」。と極めて刺激的な発言を、あえてしておいた。
いや、発言というような冷静なものではなく、これは彼女らに贈る激烈なエールだ。

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