昨年の暮れのことだった。下呂で親しい人たちの食事会に誘われた。場所は山中の民家の離れで、中央に囲炉裏が切ってあり、赤々と炭火が焚かれていた。酒はそこに流れる音が届く飛騨川で取れたアマゴをたっぷり使った骨酒、肉は飛騨牛の生産者からの持ち込み、味噌も醤油も漬物も全部集まってきた人の自家製、米は下呂産「龍の瞳」。のどが乾いたら、一歩外に出れば谷水がうるおしてくれる。ついでに空を仰げば、満天の星座が降るようだった。食事とは、食欲を満たすだけの行為にあらず。それは、われわれに与えられた、総合的な文化活動である。時間を忘れ、食事しながら歓談する醍醐味を味わった。
今日、名古屋で年来の友人金井さんに誘われてテレビ塔近所の「ラ・フェンテ」というスペイン料理のレストランで食事会。金井さんは、その世界ではカリスマ的なワインの輸入コンサルタント。メンバーはスペインのワインメーカーやら、料理研究家やら、大学教授やらワインマニアの面々。話題は、ワインについての薀蓄に始まり、海外のワイン事情、また、西洋史の中でのワインの歴史などなど。 私は、今日の会に昨年一緒だった下呂の牛屋さんを誘った。ワインの話の中に和牛の話題が受けた。スペインのロゼワインを飲み、飛騨牛を食べながらの懇談なので、当然その両者の感想を言い合う。結論は、ワインには牛肉が会うということだった。今日出席の牛屋さんは、ワインとセットで販売してみようかということを着想したかもしれない。
昨年の下呂の懇談会も食事のメインディッシュは飛騨牛であり、今日も同じ飛騨牛だったが、その食事の形と、集まった人種はまるで異質で共通点はなかった。食事しながら歓談する楽しさはいずれ甲乙つけがたしだが、話題の違いを比較しながら、何とも言えぬ一種おかしさを抱いたのは、私一人だった。
正月前後よくテレビを見た。時代に押し出されるようにエネルギーに関する番組が際立って耳目を引いた。
偶然観たのだが、アメリカの物理学者エイモリー・B・ロビンスの番組に釘づけになった。早速彼の著作「新しい火の創造」を購入、本日読了した。
40年先の2050年を想定し、アメリカのエネルギー問題を論じたもので、大きな示唆を得た。結論から言うと、脱原発、脱石油、脱化石燃料の再生エネルギーへの処方箋が書かれてある。その方法論に無理がない。
例えば、かって人類は塩の獲得を巡って戦争をした。塩は食物が腐るのを防ぐための貴重品だった。しかし今、冷凍技術の発達により塩をめぐる戦争などこの世から姿を消した。現在は、石油というエネルギーを巡って戦争が起きている。この石油というエネルギーが、どんな国でも生産できる太陽や風や水や地熱など自然の再生エネルギーに変わったら、現在の戦争はなくなる、と著者は言う。再生エネルギーは国家の安全保障上からも必要だと。
エネルギー戦略を、1運輸 2建物 3工業の分野から詳しく分析、省エネという何となく精神論のにおいのする言葉ではなく、コストダウンという経済指標で説明して説得力に富む。
最後に電力の項で繁栄の再構築を語っている。著者は物理学者ではあるが、スマートな都市とは何か、企業のマネージメント、政治のリーダーシップのあり方など時代の抱える問題を抽出し、最も大切な未来社会の方向を語り、倫理的な示唆が満載だった。
「今ある現実と闘って物事を変えることは決してできない。何かを変えるには、今あるモデルを陳腐化する新しいモデルを構築することだ」という言葉に、著者の主張が要約されている。