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12月25日 レ・ミレザブル

パーマリンク 2012/12/29 11:18:02 著者: y-ishida2 メール

映画「レ・ミレザブル」鑑賞。
以前、この作品を作った監督トム・フーバーの「英国王のスピーチ」も観たが、名画だった。また今年は、話題になった「あなたへ」と「北のカナリア」も観た。この二作とも夫婦やら家族やらの人間愛に泣かされた。が、今日の「レ・ミレザブル」は、質の違う神への愛に涙が出てきた。邦画二作には技術的に泣かされたが、「レ・ミレザブル」には突き上げてくる強い何かに目頭を押さえた。つくづくキリスト教徒や西欧文明の基層にある宗教の強さみたいなものを感じた。
今、第二次世界大戦後アメリカ占領下の日本を書き、日米両国でベストセラーになったジョン・ダワーのドキュメント「敗北を抱きしめて」を読んでいる。それまで鬼畜米英だとか一億総火の玉だとか言っていた日本人が、敗戦するや、即おとなしい羊の群れのように民主主義をくれたアメリカ様になって行く事実が実にリアルに記述されている。この日本人の変わり身の早さ、単純さは、なんとなく宗教観に根差しているのではないだろうか。日本民族の宗教観は多神教であり神仏習合、八百万の神だ。これを日本人は、とても柔軟でいいように解釈しているが、今日は何となく一神教の強さに打たれ、多神教のいい加減さを感じた。
というのも、このところの衆議院選挙の結果を受け、日本中の雰囲気が一気に、自民党一色になりそうな気がしているからだ。この傾向は結局、終戦直後の変わり身と一緒ではないか。
私の関心は、政治と宗教は一体であるということ。そもそも古代社会では、宗教のリーダーが即政治をやった。今は政教分離だとは言うものの、民族のアイデンティティーは宗教観から抜け出せない。
われわれ多神教の信念はとても変わり身が早く、柔軟性に富む。

12月23日 政治雑感

パーマリンク 2012/12/26 08:07:49 著者: y-ishida2 メール

衆議院選挙から1週間過ぎた。選挙結果が出た直後から、メディアによる情報が津波のように押し寄せた。それらを多量に聞きながら、今後の考えを少しずつ固めていこう。
かってない多党化が、小選挙区制のせいで、ますます自民党に議席をもたらした。維新も未来も期待外れではあったが、民主党敗北の最大の原因は、野田総理の解散時期の決断である。こんな結果なら、来夏、任期いっぱいで選挙しても民主党はこれより悪い状態にはならなかったと思うし、来年度予算の審議も十分にできた。結局、政局論議に負けた。
そもそもこの年末に選挙をやることは、私はメチャクチャな判断だと思ったのだ。今にして振り返ると民主党の反省点ばかりが思い起こされる。私の立場から言うと、民主党政権は、地方自治体と地方議会への関心と配慮がゼロであった。この点は、もちろん私自身の大きな悔悟である。

12月13日 選挙雑感

パーマリンク 2012/12/15 09:18:27 著者: y-ishida2 メール

今日もまた選挙についての経験を述べる。
政治世界のスタートは国会議員の秘書から始まった。地元担当の秘書だったので、支援者を訪問し、後援会組織を固めることが仕事だった。だから県会議員に立候補した初めての選挙は戸別訪問から始めた。ベテラン現職への挑戦だったので、自分なりに計画を立てて、10か月毎日選挙区中を歩いて回った。人口73000の犬山市を妻と手分けし、ほぼ全戸3回は回っただろうか。市中を這うように、舐めるように熟知し、思いを込めた。この時接した人たちとの出会いと知識が、大衆政治家としての私の原点になり財産になった。率直に言って自分は選挙に強い男だと自負していた。
その後、県議選3回そして、市長になったころからだんだんこの戸別訪問がおっくうになった。戸別訪問ばかりか後援会活動が少々うっとうしくなったことは事実であった。心身を緊張させ人と交際することや、大勢の宴席で雑談することが何だか時間の無駄使いのような気がしだし、政策論をしたり、書物を読んで理論の世界に入り、理解したと納得するほうが快適になってきた。またそのほうが進化でありレベルが上がったと思うようになった。振り返るとそのころから選挙が弱くなったのではないかと思う。
若いころ秘書として仕えた江崎代議士が何かの時に言った言葉を思い出す。著作などに精を出す政治家は二流である。政治家というものは、そんなことに時間を割く暇はない、と。         40年にわたる政治世界での観察によると、政治家には大別して二つのタイプに分かれる。一つはいわゆる論客と呼ばれる人物。理詰めな議論好きで自信が表に出る。他方は政策論には無頓着で剛腕で押すか、融通無碍な世渡りだけの人物。どちらかというと、書籍を愛したり、理論に傾くタイプは選挙は弱いように見る。

12月11日 選挙雑感

パーマリンク 2012/12/13 11:10:30 著者: y-ishida2 メール

衆議院選挙の最中でもあるので選挙について述べる。ただし、私の論点は自分の経験談。            
1 マスコミが予想報道をする。どこの党が何人当選だとか、どの候補者が当選、落選というシュミレーションをなんの根拠もないのに、かなり克明に公表する。あれは一体何の意味があるのか。あれは、人間が本能として持つ勝負への関心以外の何物でもない。勝負の勝ち負けを予想することは面白い。世間の噂話としては誠に興味を引く話題ではある。その程度の次元である。ただしその予想を知って、各陣営に拍車がかかり闘争心が掻き立てられるという効果はあるが、政治の本質や政策には何ら関係ないと私には思われる。それより、予想によって不利とされた候補者は精心的に大きな打撃を食らう。マスコミという権力によるいじめといってもいい。  2 12月は全国の地方議会が開催される。報道によると、選挙運動のため議会の日程を選挙に合わせて変更する地方議会があるやに聞く。まったくなってない。地方分権だとか地域主権だとか言っているが、地方の自立を阻んでいるのは、国会議員の下請けになっている地方議員がいるからである。衆議院選挙のために地方議会があるのでは決してない。12月議会は、正常に実施すべきである。
3 世の中の学者、ジャーナリスト、コメンテーターたちの意見を聞いていると、時として政治家は無能力者の人種のような錯覚に襲われる。たしかに世間には正直優秀な人材が大勢いるし、この人物に政治をやってほしいと思うこともしばしばある。が、現実問題として、政治世界に志を立て、選挙に打って出ようとしたら、今の職業は断念しなければならない。ここが難問なのだ。自分の人生の可能性を一本に絞って、多くの犠牲と選挙のリスクを背負う覚悟はハードルが高く、難しくとても勇気がいることだ。その決断を買うという価値観が主権者になければ、政治家など職業として尊敬されるものではない。

12月9日 選挙の風景

パーマリンク 2012/12/11 12:11:15 著者: y-ishida2 メール

衆議院選挙の投票日まで1週間。メディアの報道は過熱しているが、世の中は不景気であり、また年末ということもありどことなく冷めているような気もする。
数人の候補者を陣中訪問した。どの選挙事務所のスタッフも一様に不安を抱え、言動からそれが手に取るように伝わった。
候補者になったものとしての経験を述べる。選挙に入ってしまってからできる選挙運動は極めて限定されてくる。街宣車。街頭演説。会社とか個人の家を訪問。推薦葉書とかチラシの文書と電話作戦ぐらいしかない。なにをやっても何となく手答えが掴めず不安なものだ。
選挙運動で一番効果的なのは、一軒一軒個別に訪ね歩き二言三言会話を交わす戸別訪問だが、今回のように俄かな選挙ではそれができない。都会ならば、朝晩駅頭に立って街頭演説をすることもいいが、山間地ではそれも効果ない。街頭演説というものも、テレビで見ている人は候補者のポイントとなる片言隻句を聞くが、実際の街頭演説は通行人に瞬時に正確な話は難しく政策となかなか結び付かない。
候補者にとって最も神経を使う相手は、実は、マスコミである。アンケートへの回答やら何やかやとマスコミ対応に相当な時間とエネルギーが割かれる。
未明のうちに起き、食事を駆け込み、一人でも多くの人に接し、ひたすら頭を下げ、握手し、時には罵られ、無視されるが感情を抑え、頭の中がくらくらしつつも深夜まで突進し続ける。
かって、愛知県知事選挙の経験だ。無我夢中の毎日だったが、激流に身を委ねるよりしょうがないと腹をくくり他力本願で、心は意外と安定していた時があった。支援者に連れられて、ある勉強会に出た。講師はスポーツ評論家の二宮清純さん。メルボルンオリンピックで金をとった鈴木大地は少しでも水を掻くために手の爪を伸ばした。人事を尽くして天命を待つというのは敗北主義で、勝利は自分の手で取りに行け、という話だった。私はこの話を聞いてから極度な不安に襲われ、その夜は寝られなかったことを思い出す。
世の評論家諸兄よ、一度候補者になってみたまえ。

12月5日 衆議院選挙

パーマリンク 2012/12/06 09:18:40 著者: y-ishida2 メール

第46回衆議院選挙が始まった。
12の政党が乱立。メディアには「百家争鳴」という言葉が見られる。この言葉を聞いて「諸氏百家」という言葉を思い出した。「諸子百家」とは中国の春秋戦国時代の歴史であり、天下が乱れに乱れ、われもわれもの動乱期をイメージする。今の日本を映した選挙なのか。
各政党の主張を克明に聞いた。マスコミも国民に分かりやすいように報道する姿勢はうかがえるが、なかなか政党間の主張の違いを明確に伝えきれずにいる。無理もない、政党自体が即席で、辻褄合わせのところもある。
争点を絞ると
1 消費税の是非 これは社会保障改革と財政改革
2 エネルギィー問題 原発推進是か非か
3 経済問題 デフレ脱却と成長政策およびTPP
という論点だと思う。
どれ一つとっても大きなテーマだが、あえてTPPを掘り下げて考えてみたい。というのは、実はTPP問題の底流に流れる思想は、グローバル資本主義であると見る。グローバル資本主義を安易に受け入れることは、我が国の固有の規範、習俗のようなもの、われわれの社会が堆積している倫理的なエートスがなし崩しにされ、アイデンティティーが崩壊する危険性を孕む。国家というのは経済力や効率性だけではない。固有の文化を失った国家は、よって立つ基盤を喪失する。国家は外敵に滅ぼされるのではなく、内部から崩壊する。私は、このTPP問題こそ結論を急ぐべきではなく、極めて慎重を要する国家の存亡をかけたテーマと考える。
それにつけてもこのグローバリズムというモンスターを阻止するためには、一種のナショナリズムみたいなものが必要なのではないかと最近考えるようになった。あの「維新の会」の石原慎太郎のような領土問題で主張するナショナリズムとは異質の次元で、強烈に日本固有の伝統文化を主張することが、この際重要と考える。
それは私の持論であるローカリズムであり、和辻哲郎の説く「風土」である。日本列島の山川草木に返るナショナリズムである。

11月29日 選挙前夜

パーマリンク 2012/11/30 13:50:59 著者: y-ishida2 メール

衆議院選挙の告示日が迫り、政局はいよいよ混沌としてきた。嘉田滋賀県知事を代表とする新党が立ちあがった。予測していなかった、未曽有の政治状況。  
朝、テレビで各党の主張を聞いていたが、政治を職業としてきた私でさえ、党名も頭に入らず、各党の主張を明確に区別することもできない位だから、普通の有権者は混乱するだろう。現実にテレビでマイクを突き付けられ、戸惑うと発言する人が多かった。
私は今回の混乱は、長かった自民党政治が壊れた後遺症であると思っている。3年前の民主党による政権交代の続編である。あまりにも自民党の一党独裁が長すぎたので、壊れた後の回復に時間がかかるのだ。生みの苦しみはあるが、今度の選挙は政権交代の更なる進化かもしれない。
この際、一人でも多く新人が当選することを願う。大量に新顔の議員が生れ、大幅に国会議員が入れ替わり、既存の政治が一新されることを望む。
時代を一新することだ。新しい革袋には新しい酒を、だ。

11月28日 桃太郎物語

パーマリンク 2012/11/30 13:46:46 著者: y-ishida2 メール

ソーシャルネットワークサービスをビジネスとする一六社でネットの動画対談をやっている(「地域主権」で検索してください)。「ローカリズム」というテーマを掲げているので、地域で活躍をしている人との対談だ。
今日は「日本桃太郎の会」事務局長の伊藤裕皖さんと対談した。桃太郎の物語には仏教の教えが比喩として語られているという。イヌは飼い主の恩を忘れない。サルは知恵を働かせる意味。キジは一直線の決断と勇気。桃太郎が3匹の家来に黍団子を与えるが、それはまず先に与えた事に意味があるのであって成果主義ではない。鬼を成敗し改心させ、許した。この許すという発想も日本人的である等々。
「桃太郎」は、世界のおとぎ話の中でグランプリをとったそうだ。今日、伊藤さんと桃太郎の話をしているうちに改めて、この昔話の意味を考えた。時代を超えて持続するものはその中に普遍的な価値観とか倫理観とか禁忌みたいな教訓が含まれているからなのだろう。話ばかりではないどの分野にも通ずる事である。

11月24日 世襲批判

パーマリンク 2012/11/30 13:43:36 著者: y-ishida2 メール

引き続き私の経験から選挙を考えてみる。世襲制について。
結論から言うと政治の質を落とす罪悪と観る。私は若いころ自民党政治の中で育った。振り返ってみると30年前の自民党政治は経済のバブル期を背景に金権政治そのものだった。政治家と業界と霞が関のいわゆる政官財の談合政治だった。例外はあるものの、当選回数の多い自民党政治家は政治という権力を使って蓄財した。そしてその甘い蜜のような権力構造は、その政治家の一族に継承された。また、当選回数の多い自民党政治家の特徴は、強力な後援会組織にあった。この後援会が世襲を望んだ。傑出した政治家でも人の親。後援会の「若先生も立派になった」というリップサービスには弱い。かくして選挙区では世襲以外の才能が封じ込められてきた。そもそも政治家に限らずどんな職業でも、特殊な才能がそのまま遺伝するなんてことは例外を除いてありえない。子供に政治家としての才能があったら親とは全く違う選挙区にて自力で立候補すればいい。嚢中の錐、頴脱の人となる。
世襲は国家の象徴である天皇だけでよい。

11月23日 選挙の風景

パーマリンク 2012/11/30 13:40:05 著者: y-ishida2 メール

衆議院の選挙が迫ってきたので選挙を考えてみる。
候補者が挨拶に来る。私の経験から、挨拶を受ける側の心構えみたいなものを述べてみたい。今回の選挙は、いまだかってなかったほど、どの候補者も不安を抱えている。民主党、自民党から離党し他党から立候補する人、空席ができ突如立候補する無名の新人。「ちょっと無理じゃないの」と思っても挨拶に来たらそう言わないほうがいい。
心が決めかねている時には人間というのは不安一杯で、人の意見にそれなりにぐらつくものだが、いったん決心したら、覚悟を決めたのだから、本人なりの確証を持ったに違いない。          それは当人の主観であり、アイデンティティーそのものである。いかに客観的には無理だと予想されても、本人にしてみれば何かの確証を心に掴んだ時、人間は決断する。挨拶を受けたら「頑張ってください」といえばいい。そして自分の考えと共鳴できる範囲内で応援してやればいいと私は思う。
「客観的な事実なんてない。あるのは一人一人の解釈だけ。」と、ニーチェは言っている。

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