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衆議院選挙の投票日まで1週間。メディアの報道は過熱しているが、世の中は不景気であり、また年末ということもありどことなく冷めているような気もする。
数人の候補者を陣中訪問した。どの選挙事務所のスタッフも一様に不安を抱え、言動からそれが手に取るように伝わった。
候補者になったものとしての経験を述べる。選挙に入ってしまってからできる選挙運動は極めて限定されてくる。街宣車。街頭演説。会社とか個人の家を訪問。推薦葉書とかチラシの文書と電話作戦ぐらいしかない。なにをやっても何となく手答えが掴めず不安なものだ。
選挙運動で一番効果的なのは、一軒一軒個別に訪ね歩き二言三言会話を交わす戸別訪問だが、今回のように俄かな選挙ではそれができない。都会ならば、朝晩駅頭に立って街頭演説をすることもいいが、山間地ではそれも効果ない。街頭演説というものも、テレビで見ている人は候補者のポイントとなる片言隻句を聞くが、実際の街頭演説は通行人に瞬時に正確な話は難しく政策となかなか結び付かない。
候補者にとって最も神経を使う相手は、実は、マスコミである。アンケートへの回答やら何やかやとマスコミ対応に相当な時間とエネルギーが割かれる。
未明のうちに起き、食事を駆け込み、一人でも多くの人に接し、ひたすら頭を下げ、握手し、時には罵られ、無視されるが感情を抑え、頭の中がくらくらしつつも深夜まで突進し続ける。
かって、愛知県知事選挙の経験だ。無我夢中の毎日だったが、激流に身を委ねるよりしょうがないと腹をくくり他力本願で、心は意外と安定していた時があった。支援者に連れられて、ある勉強会に出た。講師はスポーツ評論家の二宮清純さん。メルボルンオリンピックで金をとった鈴木大地は少しでも水を掻くために手の爪を伸ばした。人事を尽くして天命を待つというのは敗北主義で、勝利は自分の手で取りに行け、という話だった。私はこの話を聞いてから極度な不安に襲われ、その夜は寝られなかったことを思い出す。
世の評論家諸兄よ、一度候補者になってみたまえ。