詩聖・杜甫の人生軌跡と「春望」
杜甫(712~770年)が活躍したころ、中国は唐の玄宗皇帝と楊貴妃の時代。宮廷では詩や芸能がもてはやされ、詩人の祖父を持つ杜甫も若くから読書と詩作に励んだとされる。
その後、官職への登竜門である進士の試験に落ちた杜甫は、失意のまま放浪の旅へ。その先で、のちの大詩人・李白と知り合ったことが大きな発奮材料になる。やがて宮廷で自作の詩が認められようになった頃、杜甫はすでに四十歳過ぎ。ようやく官位を得て、朝廷に出仕できるようになる。
ところが755年、安禄山の乱が勃発。侵攻を受けた玄宗皇帝は皇位を息子の粛宋に譲り、長安の都を捨てて敗走する。
このとき杜甫は新皇帝のもとに駆けつけようとし、敵陣によって捕縛。囚われの身となった杜甫は、戦乱の続く厳しい冬がほっと緩むように春めいてきたある日、許しを得て近くの丘へと出向いた。
そこで杜甫が目にしたのは、戦いに破損した都の悲惨さと、いきいきとした春の緑に輝く山河の、あまりに対照的な眺め。
後世に残る名漢文詩は、こうして創りだされた。
現世の哀惜と人の情けの機微をうたった詩聖・杜甫の代表作となった「春望」。
遠くおおらかな風にも似た郷愁が、胸にしんしんと響く。
国破山河在 城春草木深
感時花濺涙 恨別鳥驚心
国破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じては 花にも涙を注ぎ
別れを恨みては 鳥にも心を驚かす
烽火連三月 家書抵萬全
白頭掻更短 渾欲不勝簪
烽火(のろし) 三月(さんげつ)に連なり
家書 万全に抵(あた)る
白頭 掻けば更に短く
渾(すべ)て 簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す
【写真・出典】東京銀座・美術通販「トップアート」の掛け軸・新聞全面広告より。2009.3.16.日本経済新聞。