砂遊びに夢中だったのに、突然、
幼な児が「おじいちゃん! ねえ、この花は なあに?」
うーん よく見つけたな。
自分の背丈より、うんと高いところに付けた花。
じつはみかんの花の まだ つぼみ状態。
「みかんの花の 赤ちゃんだよ」
「えっ? みかんの赤ちゃんじゃないの?」
「みかんの赤ちゃんをつくる花の赤ちゃんだよ」
ややこしや、ややこしや・・。
これ なーんだ?
家族にたずねたが だーれも知らない。
たずねた本人も今日知ったのだから。
出先の並木道の下で見つけてびっくり。
ヒマラヤ杉並木に「松かさ???」
ヒマラヤ杉の実(雌花)が、強い風で振り落とされたもの。
樹高15~20㍍のヒマラヤ杉。
人の目には届かないような高い位置にいっぱい付いている。
手前の開いていない、形の青い実(球果)で夏までに育ち、
秋に開花し翌年初夏に熟すとか・・?
下に方から秋に実が開き、雲母状の種を散らして剥がれ落ちる。
先端がポロッと落ちると、シダーローズともてはやされる、
クリスマスリースやブローチの材料になるという。
樹もでかいが、なんとも気の長い花と実の話。
雌雄同株で雄花は開花期に合わせて十数㌢に伸びて粉を撒くらしい。
竹馬の友が旅立ち、野辺送りした。
凛々しい子たち、健やかなお孫さんたち。
幼い子たちには 野辺送りは いちだんとつらいこと。
集まった竹馬の同窓生も 心が痛む・・。
「人間の価値は、
いかに周りの人を幸せにできたかで決まる」
夫婦、家族、職場、社会で
どれだけ周りを幸せにしている
私であるだろうか
=吉岡愛和=
竹馬の友が旅立った。
ひと月後、小学校のクラス会で小旅行に行こうと、
連絡を取り合っているさなかに、
知らせは突然にやってきた。
祭壇から見てくれている面影は、あの陽気でやさしい笑顔で。
せつない。 まだ 信じられない。
人間は
何一つ持たずに生まれてきたように
何一つ持たずにあの世に旅立つ
でも許されるなら
思い出をたくさん携えて逝きたい
それこそが旅立つときの最高の宝物
=旅立つときの宝物=
(家庭教育カウンセラーの吉岡愛和氏の書き物で教えてもらったこの言葉)
友はきっとたくさんの思い出と過ごしてくれるだろう・・。
東名高速道路 上郷サービスエリア。
平日午後、いつもここは利用する車で混み合っている。
このごろ喫煙場所が 思い切り離れたところにある。
いま、喫煙を他所へ閉め出すことに腐心する。
夜間照明もそこそこで不十分。真夏はまるで誘蛾灯。
運転に疲れた心身を癒し、憩う雰囲気ではない。
一脚だけ 3人掛けベンチが用意されていた。
木のベンチ・・と思いきや、擬木。 まだ真新しい。
「このベンチは“廃プラスチック”“廃木材”を原料としたリサイクル製品です。」と、説明文がプラスチック板で貼り付けてある。
「リサイクル製品ですと主張する狙い」はなんだろう?
ならば、このベンチの100年先はどうする?どうなる?
このベンチに成型したようなリサイクルプラスチックを、
大自然界へ悪さしない土に還してやることができることができるのなら、それを誇らしげに告知するのが、筋ではないかな。
さもなければ、ふたたび廃プラスチックとして、最終処理を先送りするつもりです、と宣言しているようなものではないか。
このベンチの材料は嫌われ者のジョーカーです、と誤読されないために。
五条川のサクラ並木。
その中に一株、ヤマモミジの古木がある。
花見の時季、サクラ並木のライトアップに、
ヤマモミジの古木も 芽吹きで応える。
秋には真っ赤に色づいて、寒い冬越しに備えたヤマモミジ。
いま、にぎやかにかわいい幼児の手のような若葉を繁らせてきた。
夜桜見物についてきた孫が、「一番好き」といったヤマモミジ。
ことしも毎日楽しませてね。
・・・“うちのラーメン屋は「ラーメン」をつくっているのではない。
ラーメンを食べてもらって、「ありがとう」をつくっているのだ!”
博多一風堂(ラーメン・チェーン店)の河原成美社長が、
創業以来ひたすら従業員に言い続けてきた一徹な志し。
蕎麦屋、うどん屋、洋食屋、食堂、カレー屋、牛丼屋、めし屋、喫茶軽食店、甘味処、とんかつ屋など 並み居る食事屋のなかでも、“ラーメン屋、ラーメン店”は食事処として馴染みが深い。
お店の数も多い。都会、田舎を問わず どこにもある。
開業も多いだろうが、そこそこにやっていける商売なのだろうか。
10年、20年、30年とずーっと続いている“ラーメン屋”となると、少なくなる。
博多一風堂の河原成美創業者社長“語録”は 数多い中で、「ラーメン屋は、ありがとうを つくっている」のだ!とは、いつも新鮮に思い出す。
店がきれいだ。トイレ・厨房が一番きれいかな。
わくわくする声が返ってくる。
いつもと同じラーメンの味だが、いつもおいしいのだ。
自分の体調、気分がどんなときでもおいしいし、気持ちいい店なのだ。(思わず”ありがとう””ごちそうさま”と声を返している・・・。)
お代を払って店を出ると、また来ようと思う店。
そして・・・!こんど彼女を、彼氏を、あの人を連れて来よう!と思うのだナ。
これぞ究極の顧客満足・・・。
「かいづかいぶき」の木。
この地方では、生垣によく植えられている。
植え込んだあと、2、3年間 水やりを欠かさず よく根付かせる。
あとは根元の乾燥がしないように、わらなどを敷いて置く。
成長が早く、強い刈り込みにも耐えるので、生垣の代表樹。
ウイスキー樽の鉢植えで庭にあったもので、
おおきくなったので、地植えに移植したのが10年ちょっと前。
ぐんぐんと大きくなり、2階の大屋根よりも高くなった。
剪定することもなく、放任していた。
樹形は自然体となり、春にはしっかりと若芽を増やす。
ここのおうちのシンボルツリーとなってきた。
去年の暮れ お正月を前に、生垣の剪定をした。
思い切り 切り返しを受けた生垣のアカメカシ。
高木のケヤキが芽吹いて、下を通る人から見上げられるのに、
その真下で、負けじと色づき芽吹くアカメカシ。
春から夏、冬まで、3回以上は刈り揃える、強い芽吹き 生命力。
芽吹きは とにかく紅い。
遠目からでもすぐわかる。
人目をちょっと塞ぎたい、すだれのように重宝な生垣。
秋から冬へ。冬から春へ。
今年は畑仕事がほとんどできなかった。
健康を損ねたわけでもなく、野良仕事に無精になったのでもない。
お出かけ仕事から帰って、さあ畑仕事をいうときには、
短い冬の陽が 西に傾き、手元が暗くなってしまうせい。
今年は天竜川の先や、鈴鹿川の先へのお出かけ先が続き、
面倒をみてやれなかった。
それでも えんどうがそれなりの姿でつるを延ばして、
きれいな花をつけてくれた。
おかげで、ことしも幼児の大好きなエンドウを食べさせてやれそうだ。
小枝の元までつよく剪定伐りをしても、
春にはググッと新芽を押し出してくる「野村もみじ」。
2月の終わりごろから すでに樹液の活動を始めている。
新芽が一気の30センチにも延ばして、
びっしりと葉を繁らせてくる。
春の新芽は深紫色に、抑え目にいつの間にか枝を混み合わせてくる。
春の紫外線をぐんぐんと吸収して、深緑色に変身し、
これぞ日本のミドリ色となる。
やがてあざやかな紅色のモミジの葉色で、真夏の陽射しを受け止める。
野村つつじ。 目立たず、気の置けない存在感の庭木。
庭木の女王といった人もいるほど、やさしく 強い。
いずれお迎えが来る人生。
「P.P.K.人生」がいいな・・!という。
ピン ピン コロリの人生。
「現役を勤め上げた。これからは時間がある。
いままでできなかったことをしながら、のんびり自分の時間を持ちたいと思います・・」
なつかしい便りに出会う。
「ヘリコプター人生」のように、ゆっくりとおだやかに過ごされるのだろう・・。
片や どうか。 あしたこうしたい、来年はこうありたい・・と、
これから先ばかりに せかされている。
どうやら燃料切れで、レーダー画面から機影が消えるまで、
この大空を 飛び続けていくだろうな。
まるで「プロペラ機人生」。
周りを明るく照らしつづけ、
ポッと燃え尽きる「ローソク人生」もいいな。
インスタントラーメン(即席ラーメン)が日本で誕生してから50年になる。
日清食品の創業者:安藤百福さんがまだ「サンシー殖産」当時のこと。
家族が天ぷらを調理しているのを見て、その天ぷらを口にした食感からひらめいた。
ゆでた中華そば麺を「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法。
「nissin即席チキンラーメン」は1958年(昭和33年)8月25日に新発売。
いつでも、どこでも、だれでも、お湯さえ注げば出来上がり。
またたくまに「おいしい」「簡単」「便利」と、消費者の支持を集めた。
昭和の文化遺産といわれる岩波書店の「広辞苑」の1950年(昭和30年)版では、「ラーメン【老麺】(中国語laomien)中国風の麺料理。支那そば。中華そば。」とある。
他社の辞典では、ラーメン中国語【垃麺lamian】中華そばの一種とか、
また、ラーメン中国語【老麺ラオメン】中国風麺。料理の一つ。中華そば。・・とかになる。
1958年(昭和33年)といえば「一万円札」が登場した年で、大卒者初任給13,467円、国鉄初乗り10円、お風呂屋入浴料16円の時代。
一袋85g入り「35円」の「nissin即席チキンラーメン」は、“爆発的な”売れ行きとなった。
チキンラーメンは「支那そば」「中華そば」「老麺」「垃麺」に代わって、「ラーメン」という呼び名で広まって今日に到っている。
インスタントラーメンは、たぶん日本人初の発明だろう。
ニッポン発の文明・文化のひとつだと思う。
日高の昆布、ひじき、ジャコ、身欠きニシンとも違う。
干しぶどう、干し柿、干し大根とも違う。
梅干し、なれ寿司とも違う。
もうひと手間かけるとすぐ食べられる状態になる。
とき、ところを選ばずの携行食品で、
千年来の乾飯(kare-i-i 握り飯)の知恵、文化を超える。
10代の終わりごろ、素人の無謀登山だが、
飛騨乗越から槍ヶ岳を目指した。
ビバークし 雷鳴土砂降りの中でかじった、
あの日の チキンラーメンが忘れられない。
マグロの缶詰、するめ、キャラメルより、チキンラーメンだった。
半世紀経っても、一杯のチキンラーメンは おいしい。
日清食品の製造開発で、瞬間油熱乾燥法の「技あり!」。
熱湯のひと手間で、いま世界のすみずみで、愛され食される。
ヒトの生きざまの本源に合う「ものつくりニッポン」の本質なのだ。
カエデ もみじの種類は 数多い。
好きなカエデ類は 野村もみじとヤマモミジと 枝垂れのもみじ。
枝垂れのもみじの株が あちこちにある。
愛嬌もののタヌキの顔を覗き込んでいる枝垂れのもみじ。
毎年顔が隠れてしまうと、タヌキが煙たがっている。
ことしもしっかりと芽吹いてきた。
水甕の上に覆いかぶさるのも、枝垂れのもみじ。
こちらは毎朝、毎晩、お出かけお帰りをしてくれるもみじ。
夏の暑さをくぐりぬけ、寒さに葉を離したアジサイ。
その茎は まるで枯れ木のごとく水気を無くしていた。
椿が咲き、サクラの花がもてはやされるこのごろ、
アジサイは大地からいのちの水を得て、
しっかりと芽吹いてきた。
五条川のサクラ並木。
ソメイヨシノの満開!と叫んだばかりなのに、
もう散り始め、ひと風吹けば、花吹雪。
水量の少ない川面に、びっしりと花じゅうたん、花いかだ。
行く春を惜しむ・・・、というよりも、
花のいのちの短さがせつない。
昼も夜も絶え間なく 流れてくる。
桜の木の多さ、サクラの力強さを改めて思い知る。
勝手口の平戸つつじに、花芽がふくらんできた。
ことしはちょっと早目に新芽が出揃ってきたな、と見ていたら、
きょうは花芽のふくらみを見つけた。
やっぱり、いつもの年より、早め早目に成長する。
地球温暖化のせいだとか、異常気象だとはいうつもりはない。
この一年、元肥、追肥の施しが足らなかったので、
自己防衛の本能で、小粒な新芽、小粒なつぼみでも、
早くから花を付け、自分のいのちを永らえさせようとしているな、と思えてくる。
小さな苗木で植えてから もう40年以上。
いまでは、勝手口をまもる大事な用心棒。
花吹雪、吹き始める。
つぼみからサクラ咲くの開花宣言が、3月お彼岸の数日後。
ソメイヨシノ満開まで ことしも10日くらいかかった。
花冷えの期間が長かった。
ところが、満開となったとたんに、初夏並みの陽射し続き。
満開3日と続かず、花吹雪。
サクラ並木の堤防道路は、花じゅうたんの花びらを巻き上げて、クルマが通る。
周りは 地吹雪と花吹雪。
お店屋さんの店の中まで花びらが吹き込んでいる!!
この春、最高の傑作作品となったサクラ写真:
「五条川のサクラ並木」
犬山羽黒 旧41号歩道橋 中段から五条川のサクラ並木。
そして わが尾張富士を遠望するの構図。
言うことなし! 自画自賛の最高写真だ。
この春、最高の傑作作品と言われる、犬山祭 山車。
からくり人形の、針綱神社奉納からくり演舞の図。
当地の写真愛好家:Ichikawa Rouさん撮影。
地域ホームページ犬山羽黒の「フォトギャラリー」を担当していただいているカメラマンさんの秀逸作品。
犬山城下町の町並み・景観保存のため、電線の地中化工事が完了したので、犬山城天守閣、城郭、針綱神社、からくり人形奉納演舞ひろば、本町通りが わずらわしい電柱電線にさえぎられることもなく見通せるようになった。
Rou Ichikawaさんも、「素晴らしい絵になりました」と言われる最高の秀逸作品を投稿していただいた。
【写真下】提供:ご当地写真愛好家:Ichikawa Rou氏。
2009.4.4.~5.犬山祭り。山車の からくり人形の奉納演舞。
きょうは満月の夜。
お月見に出よう!と声かけしたが、幼な児の孫だけがきた。
ふたりでデート。ライトアップされたサクラ並木へ。
「記念写真を撮って」とせがまれたが、
ケータイカメラではねえ・・。
見どころはいっぱい。 夜桜見物の人影は きょうも多い。
あっちこっちと 花見を楽しむ。
「お月見のお月さん。何処へ行ってもついて来るよ!」と大喜び。
お花見とお月見のツーショットはむつかしかった。
八重桜。
庭先の八重桜が わたしも忘れないでね、と咲き競う。
五条川のサクラ並木。
昼間ばかりが サクラではない。
月夜に浮かぶサクラ花も 忘れないでね・・と。
五条川のサクラ並木。
とにかく 今が ソメイヨシノの満開!!時季。
あれこれ説明は 不要。
ただ ただ眺め入るばかりの 好時季。
百聞は一見に如かず。
とくと ご覧下さい。
仕事で高速道路をよく利用する。
半年前、ガソリン価格がピークから下がり始めた。
利用車が増えるかと思いきや、物流トラック便車が減り、
黄色ナンバー(軽自動車)などスモールサイズが増えた。
それに渋滞箇所が少し変わり、
中伊勢や遠州への所要時間が読みにくくなった。
名神・東名高速では一宮JCT付近、日進バス停付近の坂道での渋滞がやわらぎ、
豊田JCTから岡崎ICが毎日毎時きびしくなった。
東名阪自動車道では御在所SA坂よりも 四日市・亀山JCTが毎日きつい。
NEXCO中日本高速道路の交通状況報告によれば、
昨春開通した新名神高速の開通効果だという。
平均通行量一日あたり2万9千台と計画の倍とか。
豊田JCTから草津JCT間は34KMと約30分の短縮を実現した。
でも・・、伊勢湾岸道の名古屋港三橋間の通行料がちょっとお高い。
“麻生徳政令の土日1000円ポッキリ”で楽しむのが庶民の知恵か。
五条川のサクラ並木。
ソメイヨシノ満開。
いずれも 犬山羽黒 五条川にて。
いま、大河ドラマ「天地人」のシーンを想い返す・・。
春日山城主・上杉輝虎(謙信)との養子縁組が決まった喜平次(長尾景勝)が、禅寺で修行する。
その小姓として選ばれて入山する、5歳の泣き虫・与六(樋口兼継)を送り出す折り、母・お藤が語り聞かせる惜別のことば・・・。
「木は、厳しい冬を乗り越えるために、力を蓄えねばなりません。
紅葉が散るは、その身代わり。
燃え上がるようなあの色は、
わが命より大切なものを守るための、決意の色。
そなたは、あの紅葉になるのです。
紅葉のような家臣になりなされ。」
「今日からそなたは、母の子ではありません。
この越後の子となるのです。」
春の芽吹きは、秋の紅葉の「いのちの子」。
犬山市役所・新庁舎の新築工事が、
現庁舎の隣りですすんでいる。
昭和29年(1955)犬山、羽黒、楽田、池野、城東の5町村が合併して、犬山市となる。
直後に旧犬山町岩田町長の私有地の提供を受けて、急ごしらえで造られた現庁舎は、素人目にも耐震構造対策が危ういかもと思われている。
昨秋、新築工事がはじまり、今秋竣工予定。
今は基礎工事を終え、地下部分の工事で、周りからはまだ見えない。
10年越しに市議会で二転三転議論し、
市議会選挙のたびに大騒ぎしたのに・・。
市制55年目の待望の新築!と現市長が声高にいうわりに、
その進み具合が塀の中に隠されて、目にも耳にも伝わってこない。
旧農村部の自分たちには、工事現場をわが目で望むことも無く、
なにか遠いところの、よそごとみたいに思われてサミシイこと・・。
花冷えの春の宵、所用があって「小弓の庄」へでかけた。
このところ花冷えがつづいて、
開花しはじめて一服していた桜がようやく開いてきた。
近所の方の手作りの灯かりちょうちんが、
ライトアップと合わさって幻想的。
歴史的建造物も サクラがよく似合う。
夜桜も いいなぁ。
五条川のサクラ並木。
ことしは 開花し始めたかな?という時期から、
花冷えが一週間も続き、いつ満開となるのか。
犬山市、大口町、江南市、岩倉市にかけて、
15kmほどもの、両岸に、
ン千本(ン万本?)続くソメイヨシノのサクラ並木。
そろそろ満開宣言といきますか。
新入社員、新入園児、新入生、新学期・・・、
それぞれの記念日に サクラの花のトンネルをくぐる。
川面には、つぼみも満開も映り、
花筏も浮かぶ。
みんなちがって、みんないい。
「入学おめでとう!」「新生活おめでとう!」、
日本経済新聞の一面、題字下広告。
毎月1日は、某銀行さんが決まって載る。
いまではMUFGとなったが、かれこれ40年間ぐらい、
この銀行が大坂に本店を構えていたころからの指定席。
かってコーポレートカラーを緑にして、
存在感を訴求しておられたが、最近は真紅に染まっている。
費用対注目度では抜群のポイント。
年々歳々人変われど、指定席確保のこだわりは変わらない・・。