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「希望」まえがき7

パーマリンク 2012/09/01 15:29:18 著者: y-ishida2 メール

 選挙後、私の周りで初めて経験する現象が起きました。一生懸命応援してくれた支援者の多くの人たちが、力が足りなくて申し訳なかったと詫びられ、残念だった、残念だったと涙ながらに語り、下呂に引き続き住んでくれと熱心におっしゃる人たちのグループができ、私の住い屋まで提供していただける人まで現れたのです。
 私を徹底的によそ者扱いし、頭から差別をするこの地の辺境性に救いようのないおぞましさすら感じた時もありましたが、反面、他の地域には考えられない律義で深い人情に触れ、妻とともに下呂に住むことを決意しました。そして選挙中に語った、山間のまちの魅力と、これからの日本人の生き方を引き続き語ることを、今後の私の人生にしようと心に決めました。
 2012年4月、下呂市長選挙で私が投げかけ、そしてそれに呼応してくれた下呂市民の議論は、大自然に囲まれた山間のまちおこしこそ今後の日本人が求める幸せのモデルとなるべきであるという、「希望」を語りあったものです。そしてその記録が一冊の本となりました。
 本書のまえがきとしては少々長くなりましたが、最後にアメリカの詩人ロングフェローの詩でもって締めくくりとさせていただきます。

  「矢と歌」
 私は大空に向かって一本の矢を射た
 それはいずこともしれぬ大地に落ちた
 あまりにも早く飛んだので
 視力がそのゆくえを追えなかった

 私は大空に向かって歌を口ずさんだ
 それはいずこともしれぬ大地に落ちた
 歌の飛翔を追うことができるほどの
 鋭く強い視力をだれが持とうか

 久しくたって
 オークの木に矢を見つけた それは折れもせず
 さらに歌も 初めから終わりまで
 私は友の心の中に再び見つけた

「希望」まえがき6

パーマリンク 2012/09/01 15:29:00 著者: y-ishida2 メール

 「山中八策」と名づけたのは、大阪の橋下徹市長が大阪市など大都会を中心にする改革案を、坂本竜馬が幕末から新時代への改革案として作った「船中八策」をもじって「維新の会・船中八策」としたことを意識したものです。私としては時代の寵児となった感のある橋本市長の改革案の対立軸として、違うだろう、大都会よりむしろ山間だろうということをアピールしたかったのです。
 以下に、「山中八策」を要約します。

 1 新しい日本人の生き方
   GDP信仰からGNHへの価値観の転換
   都会は人が作り田舎は神(大自然)が作った
 2 政治改革
   民主主義の更なる進化を目指して地方議会改革
   議員内閣制の提案(チェック&バランスからマネージメント&ガバナンスへ)
 3 行財政改革
   地方分権(地域主権)の推進
   市民参加の実践(まちづくり基本条例の制定)
 4 教育・子育て
   受験学力より人格形成
   生涯学習と全市博物館構想
 5 医療・介護
   泉都下呂を医療介護の世界的温泉保養地に
 6 まちづくりと産業政策
   霊峰御嶽をランドラークに、大自然の生み出す観光資源を戦略的に生かし、岐阜県一の観光地を目指す
 7 農林漁業と食文化の発信
   医食同源・農林漁業の再生
   新しいビジネスモデルの創造
 8 資源エネルギー
   豊かな森林エネルギーの活用
   水力発電など自然エネルギーの開発

 選挙は正直言って盛り上がりました。どの集会も人がよく集まり、熱気がありました。聴衆のまなざしには真剣なものがありました。10回目の選挙を経験するクロウトスジの私としても確かな手ごたえを感じたのです。
 しかし落選は落選。
 原因は分かっていますが、敗軍の将は兵を語らず。

「希望」まえがき5

パーマリンク 2012/09/01 15:28:46 著者: y-ishida2 メール

 最近、ブータンという国が世界の先進国の生き方の中で一種新鮮な注目を浴びています。経済の指標であるGDPより幸せの指標であるGNHが、今やモンスター化したグローバル資本主義の弊害に対する救いを示しています。
 下呂は20世紀的経済発展の価値観でとらえると前述した諸々の「標準装備」から見放された周回遅れの僻地です。が、下山の思想で時代をとらえた時、下呂こそ21世紀型のトップランナーに躍り出るのです。
 私はかって国民的な人気を博した作家、司馬遼太郎を愛読したものです。この司馬が最晩年「21世紀に生きる子供たちへ」という、小学生を対象に書いた名随筆があります。小学校の教科書に収められた文章の中で彼はこう言っています。
 「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物に至るまでが、それに依存しつつ生きているということである。ところがこの考えは近代や現代に入って少し揺らいだ。人間こそ、一番偉い存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然への恐れが薄くなった時代といってもいい。21世紀に生きる君たちは、人間は自然を超えられるものではないということをもう一度知らなければならない。自然との共生こそが21世紀の生き方である。」
 私が下呂こそ21世紀のトップランナーであるという意味はここにあります。そしてこの思想に従って作ったマニフェストが「山中八策」です。

「希望」まえがき4

パーマリンク 2012/09/01 15:28:10 著者: y-ishida2 メール

 そこで、名古屋市長選挙のことはさておき、今回の下呂市長選挙では、市議会改革の他に市民に訴える政策を考えました。
 下呂市は90パーセント以上が深い山に囲まれたまち。この山間のまちからの発想が「山中八策」です。
 選挙に立候補する際、言うまでもなく、人から勧められたからといってどんな所でもいいということには決してなりません。そこには立候補を決断するに値する価値観が見いだされなければなりません。当初は議会改革の論点で市会議員有志から市長選の要請を受けたものの、下呂市について研究するうちに、下呂という地に、議会改革とはまた次元の違う政治的情熱を感じ始めたのです。
 私が大学を出て政治の世界に足を踏み込んだのは、あの大阪万博が大成功し、戦後日本の経済成長が最高潮に達した頃でした。国家の方針が、経済成長一辺倒。そのための国づくりは大都会中心であり、日本中が山間のふるさとを捨て都会へ都会へと走りました。いわゆる「向都離村」の政策です。県会議員になり全国のまちを見て回り、犬山市長になって私はわがまちづくりはどうあるべきかを深く考えました。
 まちづくりの戦略は時代とともに変化します。
 20世紀、経済の高度成長を背景に日本は登山に例えると登り坂の時代でした。この時代は企業団地、ニュータウン、高速道路、大型ショッピングセンター、テーマパーク等々。一方過疎地には大型ダム、新幹線、飛行場、それこそ原発等々が経済という指標で見た資金の流れてくるまちおこしの、いわゆる「標準装備」と考えられました。
 21世紀に入り日本の経済成長は頂上を極め、下り坂に入ったというのが私の認識です。五木寛之の「下山の思想」という著作が広く読まれましたが、今や下山の思想でまちづくりを見直す時ではないでしょうか。それは成長から成熟へ価値観をチェンジすることであり、大都会中心のくにづくりから山村の自然と共生するくにづくりへのシフトです。そういう時代の変化と価値観で下呂というまちを観察してみた時、これからの日本の生き方に対するこのまちの潜在力が啓示のごとく私の心をとらえたのです。

「希望」まえがき3

パーマリンク 2012/09/01 15:27:52 著者: y-ishida2 メール

 実は名古屋市長選挙も下呂市長選挙も、私のこの議員内閣制に賛同する市議会議員グループの熱心な要請に応えたものでした。それはこの改革が議会側からはできず、市長がその気にならなければできないものだからです。
 言うまでもなく、選挙というものは支援者があって初めて成り立つものですが、同じくらい大切な要素は本人の意思です。とは言え、選挙に立候補するということは、誰にとってもたやすい決断ではありえません。まず資金が要ります。妻をはじめ親族の同意が不可欠です。決心する時は迷います。迷いに迷いを重ね、眠れぬ夜を幾夜も過ごす懊悩地獄を彷徨わねばなりません。信頼する人が反対するアドバイスは、砂地に水がしみこむごとく心の奥底に届くものです。
 私の敬愛する親友の一人である各務原市長の森真さんに相談に行った時のことは忘れることができません。彼は頭から反対でした。その大きな理由が、下呂市の財政の悪さです。専門用語になりますが、自治体財政力の健全性を見る指数に「財政力指数」と言うのがあります。この数字が下呂市は極端に悪く、8年前の町村合併の後遺症を引きずり、このままの状態を続けると近い将来、北海道の夕張市のような破産自治体になる可能性無きにしもあらずの状態です。財政力のみならず、丁度人体の健康度を見るため、ドックに入りチェックするように、自治体を診断する数値がありますが、それらの数値が軒並み悪く、下呂市は人間でいうと成人病にかかったようなまちなのです。下呂といえば温泉地として日本三名泉の一つに数えられ、自治体としてはいわば老舗に属しますが、内実は火の車、なんだかユーロで話題になっているギリシャのイメージと重なりました。選挙というリスクを背負ってまで、あえて好き好んで飛び込む程の価値はないと、考える方が常識的でしょう。
 最後は自分で決断するしかありません。自ら顧みて直くんば、敵百万たりとも我ゆかんの心境です。
 正直、私は地方議会改革の実現に取り付かれてはいましたが、民主主義を成熟させるためには議会制度の改革が必要であるなどと理屈を並べても選挙にならないということも十分わかっていました。

「希望」まえがき2

パーマリンク 2012/09/01 15:27:06 著者: y-ishida2 メール

 県議会議員になって10年ぐらいたった頃、私は選挙で選ばれた代表として、もっと具体的直接的に行政の仕事をしたい、やらねばならぬ仕事の予算を作ってみたいという思いが募ってきて、犬山市長になりました。犬山市長時代、議会のたびごとに、市会議員の質問を聞き、この人たちは能力がありながら、お気楽な評論ばかりで、言ったことに対して責任のないのはよくないなあといつも思ったものです。
 日本以外の先進国は違います。地方議会ははるかに多様性に富んでいます。犬山市長時代アメリカの自治体議会を見学しましたし、東京財団の研究員としてヨーロッパの地方議会を視察、研究しましたが、市民代表である議員が予算を作ったり、行政の執行者になったりすることは常識です。この制度を専門用語で「議員内閣制」と呼びます。日本の地方議会を企業に例えると、議員はちょうど株主が株主総会で発言するようなものです。本来の議員や議会は会社の経営や統治を考える立場です。株主ではなくて、執行役員であり、重役会議を務めるべきです。チェック&バランスからマネージメント&ガバナンスに議会の機能を変えなければなりません。実はこの改革を阻んでいるのが、ほかでもない中央集権の法律なのです。
 わが国の地方議会は典型的な、「ガラパゴス」なのです。
 一方、国政は議院内閣制です。私は政権交代した民主党内閣のドラマに参加することができました。野党であった民主党が与党になり民主党の議員が予算をつくり、国政を執行する現実を目の当たりにし、選挙で選ばれた議員のやるべき仕事の意味を再確認しました。
 選挙を経て選ばれた議員が予算を作り、行政の執行者となる議員内閣制こそが民主主義を成熟させる、というのが私の希望なのです。そしてその希望を実現できる自治体がとにかく一つでもいい出現したら、日本中の地方議会が一気に流れを変えるのではないかという予感を持ちますし、それが私の死んでもやり遂げたい仕事なのです。

「希望」まえがき1

パーマリンク 2012/09/01 11:28:40 著者: y-ishida2 メール

 私はこの5年間に4回選挙に挑戦しました。
 愛知県知事選挙、衆議院議員選挙、名古屋市長選挙そして下呂市長選挙です。全部種類の違う選挙です。衆議院議員選挙は当選しましたが、他の3選挙は落選です。世間にはこの私の行動を見て、石田という人間は選挙マニアではないのか、いったい何を考えているのかわからないと批判する人がいることを知っています。
 そういう誤解を受けかねないだろうなあと、私自身内心忸怩たるものもあります。でも一点、私は政治家という人生を選択したものとして、大げさなようですがそれこそ死んでもやり遂げたいことがあるのです。何になるかではなくて、何をやるかが人生だと私は思っていますから。 それは地方議会改革です。
 私の政治家人生は愛知県議会議員からスタートしました。その後、犬山市長、衆議院議員と三種類の公職を務めましたが、私の政治家人生の原点は地方議員です。私はさまざまな選挙を経験しましたし、その間政治に関する勉強もしましたが、われわれが民主主義を尊重する社会を目指すとき、市民運動の成熟はもとよりのことですが、むしろ今掘り下げねばならないのは、地方議員と地方議会ではないのか、なのにわが国ではその議論がほとんどなされていないという結論に至りました。
 私が初めて愛知県議会議員になった時、議会と行政は二輪車のごとくで、議会の役割は行政のチェック&バランスであるというのが定義みたいなものでした。地方議会には行政の執行者から提案される計画案に対し決定権はあるものの、予算を編成し、自ら自治体を統治する行政力はありません。地方議会というのは、単なる質問のやり取りの場にすぎないのです。これが議会だと思っていました。

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