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最近、ブータンという国が世界の先進国の生き方の中で一種新鮮な注目を浴びています。経済の指標であるGDPより幸せの指標であるGNHが、今やモンスター化したグローバル資本主義の弊害に対する救いを示しています。
下呂は20世紀的経済発展の価値観でとらえると前述した諸々の「標準装備」から見放された周回遅れの僻地です。が、下山の思想で時代をとらえた時、下呂こそ21世紀型のトップランナーに躍り出るのです。
私はかって国民的な人気を博した作家、司馬遼太郎を愛読したものです。この司馬が最晩年「21世紀に生きる子供たちへ」という、小学生を対象に書いた名随筆があります。小学校の教科書に収められた文章の中で彼はこう言っています。
「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物に至るまでが、それに依存しつつ生きているということである。ところがこの考えは近代や現代に入って少し揺らいだ。人間こそ、一番偉い存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然への恐れが薄くなった時代といってもいい。21世紀に生きる君たちは、人間は自然を超えられるものではないということをもう一度知らなければならない。自然との共生こそが21世紀の生き方である。」
私が下呂こそ21世紀のトップランナーであるという意味はここにあります。そしてこの思想に従って作ったマニフェストが「山中八策」です。