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そこで、名古屋市長選挙のことはさておき、今回の下呂市長選挙では、市議会改革の他に市民に訴える政策を考えました。
下呂市は90パーセント以上が深い山に囲まれたまち。この山間のまちからの発想が「山中八策」です。
選挙に立候補する際、言うまでもなく、人から勧められたからといってどんな所でもいいということには決してなりません。そこには立候補を決断するに値する価値観が見いだされなければなりません。当初は議会改革の論点で市会議員有志から市長選の要請を受けたものの、下呂市について研究するうちに、下呂という地に、議会改革とはまた次元の違う政治的情熱を感じ始めたのです。
私が大学を出て政治の世界に足を踏み込んだのは、あの大阪万博が大成功し、戦後日本の経済成長が最高潮に達した頃でした。国家の方針が、経済成長一辺倒。そのための国づくりは大都会中心であり、日本中が山間のふるさとを捨て都会へ都会へと走りました。いわゆる「向都離村」の政策です。県会議員になり全国のまちを見て回り、犬山市長になって私はわがまちづくりはどうあるべきかを深く考えました。
まちづくりの戦略は時代とともに変化します。
20世紀、経済の高度成長を背景に日本は登山に例えると登り坂の時代でした。この時代は企業団地、ニュータウン、高速道路、大型ショッピングセンター、テーマパーク等々。一方過疎地には大型ダム、新幹線、飛行場、それこそ原発等々が経済という指標で見た資金の流れてくるまちおこしの、いわゆる「標準装備」と考えられました。
21世紀に入り日本の経済成長は頂上を極め、下り坂に入ったというのが私の認識です。五木寛之の「下山の思想」という著作が広く読まれましたが、今や下山の思想でまちづくりを見直す時ではないでしょうか。それは成長から成熟へ価値観をチェンジすることであり、大都会中心のくにづくりから山村の自然と共生するくにづくりへのシフトです。そういう時代の変化と価値観で下呂というまちを観察してみた時、これからの日本の生き方に対するこのまちの潜在力が啓示のごとく私の心をとらえたのです。