アーカイブ: 2013年4月23日

4月22日 市長選挙

パーマリンク 2013/04/23 10:26:16 著者: y-ishida2 メール

昨夜各務ヶ原と名古屋市長選挙の結果が出た。また先週のことだが大垣市長選挙も結果が出た。3か所とも応援した候補者は負けた。 大垣は、友人の伊藤さんが現職の4選阻止に立ちあがった。誠実な人格者で、県会議員3期トップ当選の実績を擲ち勝負に出た。よく決断したと思ったが・・・。各務原、森さんは犬山と各務ヶ原、木曽川を挟んでツウィンシティーを目指した畏友だ。両人とも政治家にはまれにみる読書家で、特に森さんは書道や文章に練達し、常に知的刺激を受けた。
私は「権腐10年」、政治家という地位は何といっても権力者だから10年で精神的腐敗を生む、3期を持って次のステージに進まなければならないという自分なりの倫理感で、県会議員3期、市長3期ごとに新たな挑戦をした。
しかしそれは自分の価値観であって、人に押し付けるものではないとも思っていた。止める決断はやろうとする決断より難しい。半年ほど前、森さんを訪ねた。森さんも5期目の挑戦には考えるところがあったように推測する。私が口を切るのを制して、自分から、「次もやる!」と言った。
「やるがいいさ、どうなっても政治家の生きザマだ。自分の信ずる道を迷うことなく突き進むだけさ。それが政治家の人生さ。」
私自身の現在と重ねて、そう言った。
私は若いころ、選挙に負けるのは政治家として大きな欠陥があるからだと信じて疑わなかった。しかし、六十路を過ぎた今、戦いに負けることは恥ずべきことではないと感じている。勝敗という結果ではなく、何をやろうとしたのかということこそが重要なのではないのかと思うようになった。自分はどういう生き方をしようかと模索し、自分自身に妥協しなければ、結果が伴わないことは乗り越えられる。選挙に負けた後、自分の気持ちをどう作っていくかが人生だと思っている。
私は森さんと伊藤さんに「これからが新しい人生の始まりだぜ!」と言いに行こう。
「敗中勝機を知る」ことが人生の極意だと。

4月21日 久田見祭

パーマリンク 2013/04/23 10:23:54 著者: y-ishida2 メール

岐阜県加茂郡八百津町久田見に伝わる祭を見に行った。犬山から車でほぼ1時間。近くにありながら、今まで見たことがなかった。    八百津は木曽川と飛騨川の合流する地点、民謡木曽節にあるように木曽材をこの地で筏に組み、犬山まで流してくる中継地でもあった。  久田見祭はそんな、木曽と飛騨と美濃が混血し、尾張へ至る山間の小さな部落に凍結され、春風に解凍された絵巻物の世界だった。
「だんじり」と呼ぶ曳山が6台白髭神社と神明神社にお練りする。背中に大きな御幣を担いだ馬が「だんじり」を先導する。「だんしり」のからくり奉納の前に獅子が舞う。祭りの原型がきちんと継承されていて、まず感心した。ここの祭の一大特徴は、「糸切からくり」と呼ぶからくりの様式にあり、国の文化財指定になっている。
6台の「だんじり」は二輪車で高さ5メートルくらいの2層構造、彫り物もよし、水引幕も鮮やか。上階で舞うからくりは毎年演目を変える。同行した、ロボット研究者の末松さんが、これはまさに江戸時代のロボットコンテストだと言った。犬山祭も当初は二輪車の大八車で曳いた記録に接したことがあるが、ここでも祭りの原型を観る。年々過疎化している地域らしいが、逆にこの祭が過疎化に歯止めをかけていることは確実である。
祭りを楽しむ住民の表情がいい。ここの部落の人たちの一年はこの祭りのためにあるに違いない、2日間の祭のために絶えず準備し身構えていると思われる濃密な空気がそこにはあった。寄合が、人と人との絆を生み、支え合う共同体を形成しているのだ。そしてその中心にご先祖を祀る神社があり、歴史継承への求心力の精神性を育むという構図だ。
盛りを過ぎた桜が、はらはらと祭を楽しむわれわれの頭上に舞った。暮れ泥む帰り道、春風が山里に運んでゆくあの祭囃子は、体に染みついた日本の旋律であった。

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