Jリーグ・川淵三郎チェアマン 座右の銘。
1993年 Jリーグが始まる前、2、3年間、
川淵チェアマンは、読売新聞社主で渡辺恒雄東京読売ヴェルデイオーナーはじめ、財界のお歴々と持論を掲げて、猛然と闘っていた。
Jリーグに参加するためには、
① 各「チーム名」に スポンサー企業名は付けない、
② 各「チーム名」に 地名・地域名を必ず付ける、
③ 選手、審判員、指導員、ジェネラルマネージャーなど人材育成とスポーツ振興する組織をもつこと、
などJリーグ入会要件を提唱し、「Jリーグの理念」に沿わない意見にも、全く妥協をしないで貫いた。
51歳でチェアマンに就任し、Jリーグ会長をも勤め上げ、今や 古稀の好々爺の域にある。
ひきつづき燃える思い入れを ほとばしらせながら走りつづける。
『 斃れて のち 已む 』「倒れたら、ストップ イコール デッド(死ぬ)」で、この後も生きて行きたい、と。
柔和な顔立ちになっても なお眼光は熱い。
【写真】NHKテレビ 2009.7.3.放映 この人にトキメキっ!より。