アーカイブ: 2009年1月03日

弥生後期稲作文化の“王”「東之宮」か(東之宮古墳 Ⅳ)

パーマリンク 2009/01/03 02:06:31 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー


 犬山城の東の方 丸山白山平の“小山”は、
 実は 「東之宮古墳・東之宮神社」である。
 その古墳の中腹に、初詣でで賑わう成田山名古屋別院。
 さらに東は ラインパーク・モンキーセンター。

 ここの見晴台からは 眼下に広がる濃尾平野を、
 さらに伊勢湾、鈴鹿山脈、北近江・越前につながる山容を一望できる。

 海の幸の伊勢湾を見下ろし、伊勢神宮をも遥拝できる位置。
 広大・肥沃な 濃尾平野、材木・山の幸の 木曽川流域の中心地。
 これより東は蝦夷地と後世呼ばれる地域を後背地に持つ位置。

 郷土歴史家の中には、弥生後期稲作文化の北限中心地であった、とも説明される。
 弥生後期高地性集落の中心地で、豊富な「真水」に恵まれる。

           *******

 後世、大和、畿内の○○天皇稜といわれる古墳群に劣らない巨大な古墳。 

 犬山扇状地(犬山~各務原)には「東之宮古墳」から半径5~10km内だけでも 大小、新旧百数十基以上の古墳群がある。

 300年ごろの「東之宮古墳」、350年ごろの「青塚古墳」、
 400年ごろの「坊の塚古墳」、450年ごろの「妙感寺古墳」が、
 この地方の、大きさの四大古墳。

 紀元250年ごろから650年ごろまで、木曽川中流域:中濃~犬山扇状地~岐阜・大垣から濃尾平野低地部・熱田あたりまで、大小、数百基の古墳群が集中して並ぶ。


 「東之宮古墳」はどれよりも旧く、どれよりも巨大で、その位置取りの的確さが際立つ。

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地域HP犬山羽黒「ブログ塾」塾生記。晴耕雨読に暮らす。 野良仕事こそ、cultivate耕やす文化(culture)という。

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