アーカイブ: 2014年8月18日

鳥出神社 鯨船行事

パーマリンク 2014/08/18 11:34:18 著者: y-ishida2 メール

日本民族の最大の宗教行事は正月とお盆である。そのお盆の8月15・16日、鳥出神社の鯨船行事は行われる。
三重県は明治の廃藩置県前までは伊賀と伊勢と志摩の3国に分かれていた。伊勢は更に北勢と南勢に分かれる。面白いことに、南勢地区の鯨船行事は実際の海で行うが、北勢は陸上で御座船を作って鯨と船の壮絶な戦いの演技を行う。
古墳から鯨の骨が出土するらしいから、鯨と日本人との付き合いは古い。だから捕鯨にまつわる祭は全国にあるが、三重県が一番多いそうだ。そして面白いのは、四日市を中心とするこの北勢地区では捕鯨の形跡がないのに鯨船行事があるという事である。5か所の神社に伝承され、8基の山車が登場するが、富田の鳥出神社に4基固まっているので、ここだけ国指定の文化財になり、この度、ユネスコの無形文化遺産候補にもなった。
南勢地方は現実の捕鯨を経験したので、鯨の解体を見る人にとっての祭は鯨の霊を慰める色彩が強い。が、この鳥出神社はいわばメタファー(隠喩)としての捕鯨なので、捕鯨の演技を展開する。ハタシと呼ばれ中心人物が大きく身体を使い大海原に鯨を追っかける、鯨を見つけてから鯨と格闘する船が大きくローリングする、振れの中にオドリコやロコギが倒れんばかりに揺れまわる、鯨に銛を打つ、鯨と船との格闘が始まる。ハタシもオドリもロコギも子供が演ずる。その体の動きは私には人形浄瑠璃のように見えた。鯨船はローリングしながら、太鼓を打ち鳴らし、大声で歌と踊りで囃し立てながら、あちらこちらを突きまくる。鯨突きという神事だ。
漁民による漁労儀礼というよりは、余興として鯨突きの真似が富貴を呼ぶ目出度さや災厄を払う儀礼としての意味を込めながら、次第に演劇的に組み立てられたところがこの祭の真骨頂と観た。
我々は全国どこの祭を観に行っても、せいぜい半日ぐらいしかそこには滞在しないだろう。祭の表面を観て、所詮群盲象を撫でるような評論しか出来ない。
私は、何処の祭に行っても多種類の資料は参照にする。祭の全貌を知るためにビデオを観ることもいい。鯨船行事も四日市市教育委員会から250頁にわたる調査報告書をいただき一読した。しかし、いくら資料が豊富でも、祭の神髄は祈りにある。神社の氏子たちが、観光客など関係なく行う神事にこそその祭が持続してきた力が潜んでいるのではないか。加えて大切なのは、祭に備えて歌や踊りの練習や山車に付属する備品の維持補修などを準備する時間だ。祭関係者のこの準備の時間と空間こそが共同体としての意識を持続させる。鯨船行事も、鎮火祭の神事を行うと聞いた。水面下の神事はなかなか外部の者にはわからないし、行政の資料に載りにくいが、本当は祭の岩盤を成す行事ではある。

揖斐まつり

パーマリンク 2014/08/18 11:31:11 著者: y-ishida2 メール

揖斐まつりは、岐阜県揖斐川町、三輪地区の氏神三輪神社の祭である。自治体名「揖斐川町」は木曽三川の一つ、揖斐川から来たと思われる。地方政治に長年かかわってきた私の観察だが、我々は有形無形無意識の内に故郷の川に大きく影響される。母なる川という言葉は正しく真理だ。一昔前の日本人の感覚では、国とはcountryとかnationではなくlandであり、都会が形成される前の山村社会では山川草木が住民のメンタリティを作ったと思う。揖斐川町は何となく私を惹きつける。
「揖斐川町は太古、大神(みわ)の里と称し、伊比(いび)の里とともに出雲族、神人(みわ)氏の蟠踞地で山麓の一寒村でありました。」から町史は書き出す。
三輪神社の例大祭揖斐まつりは5月3・4・5日に行われ、歴史の由緒を背負い神事を重んずる祭だ。            5月1日 三輪神社に幟(のぼり)が立つ     2日 町内からの神輿(みこし)のご神体受付    3日 小試(しん)楽(がく) 公民館で子ども歌舞伎上演 4日 試楽 神社前にて子供歌舞伎上演                  ヤマ(車偏に山)引き揃え        5日 本楽(ほんがく) 稚児役者お練り 神輿(みこし)お旅(たび)            子供歌舞伎 ヤマ引き回し
*お旅とは神が降臨した神輿を担いで氏子の住むエリアを巡行しお祓(はら)いすること   
曳山は5町内から繰り出す。ここではヤマと呼び国語辞典にはない車偏に山の字を書く。 若い衆が神輿の巡幸の時大声で民謡のような「おばば」を唄いながら担いでゆく。揖斐川町が発祥のこの唄を私も子供の頃故郷の川祭りで唄ったことがある。「オババドッコイキャルナーア ナーナナ 嫁ノ在所エナー 三升樽サーゲテ ソーラバエ」という何とも長閑(のどか)なメロディは、意味は解らなかったが少年の時の祭の記憶と共に、私の体に染みついている。祭の遺伝子は確実に子ども達に引き継がれる。
衣斐祭の楽しかったのは子供歌舞伎だ。ヤマを曳き出す5町内で毎年順番を決めて歌舞伎を担当する。町内の公民館で上演したり、ヤマの上で上演したり、本楽の日は神社の前で演ずる。
現在のように家柄の世襲制のみではなく、瓦乞食といわれる下層の大衆の中から生まれた文化であった地芝居歌舞伎も、世界遺産であることを知る人は少ない。実は戦前まで、全国に歌舞伎小屋は1500余あったが、敗戦によりGHGは歌舞伎の上演を3年間禁じた。歌舞伎はそのほとんどが復讐劇であり、日本人の心情の根っこを表現ずる故に、アメリカは恐れたと言われる。
それによって大衆演劇としての歌舞伎は壊滅し今は50そこそこの小屋が残るのみとなったが、岐阜県が最多だ。歌舞伎には我が国の芸能と様式のすべてが入ってきているのだが、どうも今の日本人は歌舞伎より西洋のオペラのほうが詳しくなってしまった。
祭を見ることは「日本人」を思い出させる。

桑名 石取祭

パーマリンク 2014/08/18 11:28:58 著者: y-ishida2 メール

「石」を神と捉えるのがこの祭りの名の由来である。桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を取って氏神である春日神社に奉納する祭。春日神社とは奈良春日社を本社とする藤原一族の氏神であるが、春日神社は桑名の産(うぶ)土(すな)桑名神社に勧請(かんじょう)したものである。ここのところが日本の神社の面白いところで、全国どこの神社も、その土地の産土神社に、有名な神を簡単にしかも幾柱も勧請してくる。
祭を見ると、つくづく多神教の日本人の信仰心を見てしまう。別の言い方をすると日本人は何でもかんでも無原則に受け入れる「ごった煮」のような文化を持つ民族ではないかという気がする。
桑名という地について考える。とても特徴のある、力のあるスポットだ。地勢的には日本一の大河川、木曽三川の合流地点であり、伊勢湾の入り口に当たる。列島を東西に分ける重要な港町として古来より栄えた。日本史には日本書紀に豪族桑名首(くわなおびと)として登場する。江戸期には東海道五十三次42番目の宿として栄え、幕末期は佐幕派の中核となる。因みに、明治政府は佐幕派となった藩は県都の名前を県名にさせなかったから、日本中の県都名を聞くと、勤王派か佐幕派か一目瞭然。従って、三重県の県都は四日市市である。
祭はその土地の過去を背負う。いかにも、この石取祭には桑名の土地と歴史の重層性を読み取ることができて興味深かい。
37台の曳山(ひきやま)はこの祭りでは祭車(さいしゃ)と呼ぶ。マスコミ報道などで曳山のことを十派一からげに「ダシ」と呼ぶ。この山車(だし)という呼称は、明治政府が言葉の全国統一を目指したもので、一種の言葉狩りではないかと思っているが、祭の曳山は、その土地独特の呼び方を尊重すべきであるというのが私の持論。
話はまた大きく逸れるが、「ヤマ」について述べる。我々の先祖は、死ぬと遺骸を故郷の山に葬った。山とは常に先祖の霊が眠る場所であった。先祖の霊は木に降神する。だから我々は祭の時、山のような高い構造物を作り、木を立て、故郷のエリアを曳き回し、先祖と邂逅する。その構造物を一般的に「ヤマ」と呼ぶ所以である。
桑名の石取祭が圧倒的だったのは、祭囃に感じた。「日本一やかましい」というキャチフレーズ通り、祭車(さいしゃ)のそばではなるほど会話が困難である。基本は簡単。大きな長胴太鼓と大きな鉦を5拍子と7拍子にリズミカルに打ち鳴らす。金属音の鉦と自然音の太鼓、更に風のそよぎのような篠笛のハーモニーが絶妙で、私にはジャズのセッションのように聞こえた。祭関係者から、夜中まで繰り出すこの音に「やかましい!」と苦情を言う新住民がままいるという最近の世相も聞いたが、子どもと女性がお囃子を担当していたのもまことにいい光景の祭であった。

刈谷 万燈(まんど)祭

パーマリンク 2014/08/18 11:24:45 著者: y-ishida2 メール

私は愛知県議会議員を12年務めたし、知事選挙も経験したから、県内の自治体は大抵一つのイメージは持つことができる。正直刈谷市には、財政が強く、トヨタ系の製造業を中心にした2次産業の町というイメージしかもっていなかった。
自治体が工場を誘致することは固定資産税が増え雇用が確保できるので、積極的に推進したい政策だ。ところが、製造業の工場が増えると、一方町は人の結びつきが薄れ、何となく無機質になり面白味を失う。刈谷市は、典型的な面白味を失った工業の町だと万(まん)燈(ど)祭を見るまで思っていた。
ところがこの万燈祭を見て、私の刈谷に抱くイメージは一変した。
話は逸れるが、東京に住む人の半分は仏壇が無いという話を聞いたが、仏壇がなければ仏間もなし、先祖の位牌や思い出を語る写真などもないであろう。その家の由来を知ることが出来ぬ。自治体のホームページもそうだ。その町の歴史や、過去の由来などその町の履歴を詳しく書かない自治体が多い。現在の行政サービスや財政状況や医療・福祉・教育などのマニュアル化された数値の記載だけではその町に特別の関心を寄せることは難しい。 その点で、刈谷市のHPはなかなか出来が良いし、杉浦世志朗さんは観光協会の会長としてふさわしい積極的な方だった。
万燈祭は秋葉社の祭だ。1756年秋葉社の前身秋葉堂で火伏せの神信仰が行われたという記載を嚆矢とする。火伏せとは火難防除であろう。1852年雨乞い祈願に万燈が登場する。念のために万燈とは仏前にともす灯火のことである。火避けが雨乞いになったところが面白い。現在は10数基の、高さ5m幅3mの歌舞伎や武者をかたどった大万燈を竹と和紙の張子人形で造る。60Kぐらいあるらしいが若い衆が1人で担ぎ、周りを50人くらいの人たちで囃子に合わせ盛り上げる。「天下の奇祭」というキャッチフレーズがついている。氏子の7町内の他に、刈谷はトヨタ自動車の町であるので、本社があるデンソーが全面的にバックアップ、会社から大万燈を出す。デンソーの若い社員は地元の若い衆に比べ何となく品が良い。やはり、会社の体面を気にするのかもしれない。祭を盛り上げる若い衆は多少ヤンキーな兄ちゃんのほうが実は似合う。それと、根本的には祭は共同体、会社は利益追求の組織体の違いがある。社会学で言う、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトの違いだ。しかし、祭りを運営する側に立つとトヨタの応援は財政的に大変プラスで有りがたいという。そうだろう。
この祭を面白いと思ったのは、祭の主旨が雨乞いにあることだ。旱魃は農村地帯では致命傷だったのだろう。今の時代非科学的だと笑う前に、稲作が日本の農業の原点だったことを考えると、この祈りの意味が肯ける。
祭は科学万能に対しアンチテーゼとなる。

蟹江 須成祭

パーマリンク 2014/08/18 11:20:13 著者: y-ishida2 メール

今年3月日本の伝統的祭の中で、国の重要文化財に指定されている32の祭がユネスコの無形文化遺産候補として文化庁が推薦した。 我が国には民俗文化を伝承する優れた祭は多い。が、いわゆる文化財として公的な機関が認定するためにはまず、モノとして見えたほうが判定し易い。例えば、ねぶたや御柱のように、祭のつどモノが無くなっては蓄積された文化財として判定しにくいという問題が生ずる。それはそれで、無形文化財となるが、モノとして修理したほうが公的な補助金はつけ易い故に、そういった祭は組織を作って補助金の獲得に励むようになる。だから、文化財指定の祭はいわゆる曳山(ひきやま)タイプが多くなる。その曳山祭で、「全国山(やま)・鉾(ほこ)・屋台(やたい)保存連合会」という組織を作っている。この組織に属した32の祭が世界遺産候補になった。愛知県に5か所あり、全国最多。蟹江の須成祭はその1である。
須成祭は今まであまり世間に知られていなかった。何故か。一言で言うと、祭関係者が人に見せようとか観光客を呼ぼうという発想が薄かっただけのことだ。いわゆるポピュリズムに流されなかったという事ではないか。
須成祭は津島天王祭と同じ夏の川祭、牛頭(ごず)天王信仰で、夏の疫病退散と五穀豊穣を願うと聞いたが、葭(よし)を刈ってきてご神体とし、葭で禊(みそぎ)を行い、川に流す神事が祭の中心思想だ。
祭前後7月初旬から10月中旬まで約100日間かけて数々の催事があり、別名「百日祭」と呼ばれていると聞いた。祭の全貌はとても見学することはできないが、町の民俗資料館でこの百日祭のビデオを見た。神社の氏子たちが総出で葭を刈る、車(だん)楽(じり)船(ふね)に乗せる人形やその飾りを作る。その他もろもろの祭の準備とそれに伴う仕事をこなすありさまを見た。祭りにプロなどいないし、全員が普通の住民であり、奉仕の精神で取り組んでいる。全て、祭の為である。祭が住民の絆をつくり、住民が祭を育てる。いわゆる共同体の原点であり、コミュニティのあるべき姿であると心から感動した。
蟹江町は平成の合併騒動の中、合併を選択しなかった。賢明であったと思う。合併というのは行政の都合で勝手に線引きし、自治体の範囲を人工的に作る。須成祭をはじめとする日本の伝統的な祭は神社というその土地の先祖を求心力として自然に集まる共同体であり、その地の山川草木と強く結びつく。そして山川草木はすべて神となって故郷を守る。
祭関係者が冨吉(とみよし)建(たけ)早(はや)神社と八釼社の両神社に参り、その足ですぐ隣に立つ寺院にも参詣した。我が国では江戸時代まで、神社と寺院は必ず一か所にあった。それを分けて寺院を追い出したのは明治政府の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という仏教排撃のせいであり、これは大きな失政であったと思っている。ところがここ蟹江では本来の信仰形態を維持していた。

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