春日井市高蔵寺ニュウータウンで福祉系市民運動のリーダー治郎丸慶子さんが「吉阪隆正賞」を受賞し、その祝賀会の案内状をいただいたので出席した。公職者だとか肩書の付いた人物は一人もいない、地域住民主催による少人数で地味な祝賀会ではあったが、心からの祝福の気持ちが溢れ、暖かく優しい気持ちになれるいいパーティーだった。
まず、キーワードの解説がいる。
① 高蔵寺ニュータウン 戦後国策として大都会中心に若い労働人口を集中させた。首都圏は多摩ニュータウン、関西圏は千里ニュータウン、そして名古屋圏がこの高蔵寺ニュータウンだ。愛知県の東部丘陵地帯と呼ぶ里山を造成、巨大な集合住宅が林立する5万人規模のニュータウンが出現、名古屋圏の高度経済成長を支えた。しかし、このニュータウンも50年たてば今やオールドタウン。少子高齢化の波をもろかぶり、住民は苦しんでいる。その状況の中でベッドタウンからライフタウンへという目標を掲げて立ち上がったのが、治郎丸さんを中心とする女性グループNPO「エキスパネット」だ。
② 吉阪隆正賞 吉阪隆正という人名は寡聞にして知らず、建築の研究者に尋ね、人間の存在を表現することをテーマにした建築家であり登山家であったと知った。
この表彰される側、表彰する側双方に私は深い感動に落ちた。表彰というと、オリンピックだとかノーベル賞だとか、最近では世界遺産登録だとか国民栄誉賞だとか高額の金銭や目立ったものに世間は大騒ぎしスポットをあてる。それはそれなりにご立派なことだとは思うものの、今日の表彰のように、ひっそりとしているが、地域の人たちの命を支え、生活を支え、ヒューマニズムに溢れた地味な努力に光が当てられ、それを喜ぶ一握りの善良な人たちの集まりに席を連ねられたことに感じ入ったのだ。
表彰される人も立派なら、表彰する人も立派だ、と私はお祝いを述べた。
市民運動はとにかく続けることです。と、短く締めくくった表彰者の治郎丸慶子さんのスピーチがいつまでも印象に残った。
今月「地域主権」シリーズで、明治村・モンキーパーク・リトルワールドと名古屋鉄道がいわゆるメセナとして運営する3施設の所長と対談した。(「石田芳弘地域主権」をネットで検索しご覧ください)
今日はその一つ明治村の評議委員会があり出席。私は公益法人の評議委員とか理事は経験豊富だが、ほとんど形だけで議論はなく形骸化している。議案の朗読が済むと「意義ありませんか」とシナリオ通り議長発言、「異議ナーシ!」と誰かが機械的に答え、「異議なしと認めこの議案は議決いたしました」で、一丁上がりだ。そんな会議から、先日の全日本柔道連盟のように不祥事が発見できず、隠蔽が進んでゆく。今や評議委員会は決定的に重要になった。
理事会と評議委員会の関係は、丁度首長に対する議会のようなチェック機能だと思う。
とは言うものの、今日の明治村評議委員会もシナリオを読むだけの会議になり、明治村の抱える将来像について何ら掘り下げることはなかった。
明治村のような公益法人の運営は難しい。特に文化遺産というものは維持に多額の資金がいる。株式会社と違いNPOと一緒で、収益を再投資に回すことはできない。運営の面で明治村は名鉄本社に大きな負担を強いている。名鉄という会社は、いわゆるグローバル企業ではなくローカルエコノミーによって成り立つ企業であるだけにいわゆる金融資本主義のような投機的利潤を上げることはできない。私は今後長期的に明治村を考えると持続不可能な気がしてきた。名鉄は明治村の他にこういった公益法人の文化施設を多数抱える。
私は名鉄という企業を最大限に評価している。地域に立脚し、地域に貢献し、地方の財界のリーダー役を務める、倫理観のある企業だと思っている。金融・証券や、あるいはユニクロ・楽天のように地域経済とは関係なく、ボーダーレスに世界中から金を吸い寄せるグローバルエコノミー企業とは違う。
ここで少々荒唐無稽だが、われながらいいアイデアを考えた。それは、明治村を公益法人から一自治体として独立させ、文字通りの「明治村」にすることである。
そもそも平成の合併はその根底にグローバリズムに似た地域のアイデンティティー破壊があるから、その逆に、市から村=コミュニティーへの反転はおもしろい気がする。