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生の政治から距離を置き、大学に馴染み、学者との交流も増えた。政治世界に生きていたころは学者、特に政治学者の言うことなど理屈という偏見を抜け切れなかった。
最近、中部大学の三浦陽一さんという国際政治学者と親しくなった。この三浦さんが先日何気なく言ったことに興味をそそられた。どの国でも建国の由来を見るとその国の意思が理解できる、と。例えば、アメリカという国家はイギリスから独立戦争を経て誕生した。だからアメリカは戦争を否定はしない。戦争を否定したら、そもそもの自国の成り立ちのアイデンティティが成立しない。
その話を聞いていて思い当たった。それはわが国の建国にまつわる神話だ。
日本を考えるにあたって「古事記」の中に書かれた神話を無視することはできない。
「古事記」の中に、国譲りの話が出てくる。かの有名な大国主命の神話だ。オオクニヌシ一族は日本列島の先住民族の縄文人であり、渡来人であるアマテラス一族の弥生人に征服された。アマテラス一族は伊勢神宮を先祖神となし、先住民族の鎮魂のため出雲大社を建てた、という説もある。
要するに、日本列島の原型は、先住民族から、渡来人に平和裏に国譲りされたたというのが神話の語るところである。
とすれば、日本人はもともと戦争を好まない、平和主義の民族であると言える。
今朝の報道で、日本の「憲法9条」が、ユネスコの世界遺産に検討の承認をされたというのを知った。
このオオクニヌシの国譲り神話を考えれば、戦争放棄をうたった憲法9条は正真正銘民族の歴史的アイデンティティであり、まさに世界遺産に相当しよう。
ここで話を少々変える。
昨年「中央公論」12月号に「壊死する地方都市」というタイトルで、わが国将来の人口予測の特集があった。今のままの少子高齢化率で推移したら、わが国の人口は50年先には8000万少々となり、地方都市は過疎から消滅という戦慄のシュミレーションだ。
私はこのシュミレーションを引き合いに出しあちらこちらで話題にしてきた。
ところが、最近の急激な安倍内閣の内外の動きを見るに、そんな人口問題の前に、戦争が起きるかもしれないという予感がしてきた。グローバリズムの問題を経済という視点で杞憂していたが、実はそれ以上にグローバリズムの波は戦争の危機をクローズアップする。 世界の国のほとんどが、建国のプロセスを見てみると、獲った、盗られた戦争の歴史を刻む。戦争を否定できない建国の歴史を持つのは決してアメリカ一国ではない。ユーラシア、アメリカ、アフリカ大陸を始め、国境が陸続きの国は、そもそも戦争の火種はある。現在のウクライナ情勢でも知れば知るほど、紛争は歴史の根が深く、世界中に戦争の可能性を秘める。
TPPという経済問題に気が行っていたが、防衛に関する最近の安倍内閣の動きを見ていると、グローバリズムの潮流にどんどんはまり込み、国譲りの神話世界から、平和主義を建国のレジェンド(伝説)としてきたこの国のアイデンティティが揺らぎ始めたような危機感を覚える。