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4月23日 論語

4月23日 論語

パーマリンク 2014/04/25 09:10:17 著者: y-ishida2 メール

政治評論家の森田実さんは40年来のお付き合いである。私が師と仰ぐ数少ない人の一人だ。森田先生が客員教授を務める東日本国際大学学長緑川浩司氏の著作「人間力をはぐくむ」が贈られてきた。
東日本国際大学は孔子の教えである「論語」を建学の精神にしていると知った。この著作の中で、森田先生と緑川学長との「論語」を介して語られる教育対談は読み応えがあった。

私の座右の書は「論語」である。
「論語」の魅力は言葉の力だと思う
私が論語に初めて出会ったのは中学生の時だった。私の学んだ中学校は中高一貫の私立校で、中学から漢文があり、大好きな教科だった。唐詩選に魅せられたが、漢文を朗読する時感ずる言葉の心地よさの中に「論語」があった。
その後、政治世界に身を置き、政治家の書のほとんどが「論語」の言葉と気が付いた。私が仕えた江崎代議士の応接間に、吉田茂の書で「夫子ノ道ハ忠恕ノミ」の扁額が掲げられ、これが「論語」を熟読する機会になった。
日本人は「論語」好きだ。渡来文明の中でわれわれは、仏教に匹敵するくらい儒教に影響を受けたのではないかと思う。「論語」の解説書は山ほどあり、雑誌類、アニメ世界にも「論語」の解説は溢れている。私はそれらを片っ端から読んだ。
犬山市長時代教育改革に取り組んだが、私の教育観のベースは、「論語」の冒頭「学んで時にこれを習う 亦楽しからずや」。学ぶ楽しさへの弾むような孔子の声だった。
「人間力をはぐくむ」の中で、森田実さんは「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を、いわゆる中庸の思想として「論語」の白眉に挙げられている。
私は井上靖という作家が好きだったが、最晩年の小説が「孔子」であり、その小説のテーマは天命であった。井上靖は孔子が大河のほとりに立って流れを眺めながら言った「逝く者は斯くの如きか 昼夜を於かず」を激賞している。人生と自然が一体となり、スケールの大きい文学的な感性の横溢した私の好きな言葉だ。
孔子が70歳代になったとき自分の人生を振り返り述べた「我十有五にして学に志す 三十にして立つ 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳従う 七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず」この10年おきの年代を私は自分の生き方の目標にしてきた。しかし現実には難しく、特に六十代の「耳順」、人の話に耳傾けることはできなかった事は慙愧に耐えない。
孔子の思想である儒教は江戸時代、官学の朱子学と民間の陽明学に分かれる。陽明学は「知行合一」で知ることと行う事の一体を求めた。政治家は行動家であらねばならないと考えていたから、もちろん私は陽明学派だ。
白川静氏は「孔子伝」で、孔子は挫折した革命家という表現をしている。
この孔子論を私は愛す。
政治に夢を持ち続け、挑戦し、挫折し、絶えず希望・挑戦・挫折の連続だった孔子の簡明直截な言葉が魂を揺さぶる。
孔子が、人類の教師として、2500年の時空を超えてわれわれの生き方に大きな影響を与えてくれているゆえんだと思う。

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