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東京都知事選挙に細川護煕さんが、小泉純一郎さんの支援を受けて立候補することになるようだ。
雲間に電光のようなきらめきを見、目頭が熱くなった。
政治というものも捨てたものじゃないという新鮮な感情が込み上げてきた。
政治という営みが人の心に一瞬にして希望の灯をともす力のあることを今一度知った。
私はこのところ、自民党を中心に原発再稼動の方向が作られていく予感がしてた。アベノミクスだ、経済成長だ、景気だ、景気だ、という声がだんだん大きくなり、結局は原発再稼動に世間の空気が作られていく。これは止めようがないという危機感と結局世間は金儲けなんだという脱力感に支配されかけていた。
だから私は感動したのだ!
「ちょっと待て、俺たちがその空気を引き戻してみる。」というのが細川、小泉両人のメッセージなのだ。
テレビで、報道陣に取り囲まれた細川・小泉両人の顔は、完全に戦闘モードで、覚悟を決めた男の顔だった。
脱原発に関しては、2月10日に、中部大学で物理学者の武田邦彦教授と私がスピーカーでフォーラムを開催する予定になっているので、私の主張は後日述べることにするが、一言で言うと原発推進論者は経済成長至上主義に尽きる。「ミダスの呪い」というギリシャ神話があるが、拝金主義の罠に陥っている。が、世の中は、拝金主義が現実であり、脱原発は非現実的な夢想家の理想論なんだ。
その夢想家の主張をするために、70歳過ぎた彼らは立ち上がった。しかも彼らは、世の中は多分権力欲を含めた欲望で動くものだという事も知り尽くす政治的人間の徒類だ。 人間というものは汚辱なものであるという理解を乗り越えた老境にある二人の男のロマンが雲間の電光のようにきらめいた。
細川さんはテレビの前でこういった「当選するかわからないが、脱原発を皆さんに考えてもらうため立候補することが大事だ」
私はこういう筋書きに弱い。かのラマンチャの男ドンキホーテの決め台詞を思い出す。
「狂気とはなんだ?現実のみを追って夢を持たぬのが狂気かもしれぬ。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。中でも憎むべき狂気は、ありのままの人生に折り合いをつけてあるべき姿のために戦わぬことだ。」
選挙は一種メタファー(暗喩)でありアナロジー(類推)でもある。
私はほとんど物語の世界を楽しんでいるのかもしれない。
先日見た映画、クリントイーストウッド主演の「許されざるもの」をリメークし、渡辺健が熱演した明治初期の時代劇アクションを思い出した。一度現役引退し百姓をしていた武士が、義によって悪代官一派を皆殺しにする筋書き。私の頭の中では、渡辺健と小泉純一郎が完全に重なって見えてきた。
じっとしておれん。
オレも、東京へ応援に出かける!