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昨年の11月から始めた「犬山城下町を考える会」が13回目を迎えた。
城下町が賑わいを取り戻したが、何となく表面的なだけで、腑に落ちるものがないので、数人の人とまちづくりについて雑談をしようという軽い気持ちで始めたのが一年余続いた。 今までの私なら、一方的に持論だけ喋って「ハイ、サヨウナラ!」であったが、毎月第1月曜を例会日と決め、案内状を自分で書き、自宅ではあるが会場の準備をし、会議はなるべく自分の意見は慎み、他人の意見を聞く側に回った。
自分のスタイルを変えたのだ。
毎回15人程度の人が来てくれる。
城下町に賑わいは戻ったが、それは観光客が大勢来るようになっただけで、中は空洞化しているし、この城下町界隈に住む人の生活は置き去りにされているのではないかというのが集まる人のほゞコンセンサスである。
時代の言葉で言えば、少子化や高齢化に対する視点がまるでないという事だ。観光客が来て金儲けができればいいではないかという今の犬山城下町の空気は、外国との経済競争に勝って景気を良くすることが一番だ、という今の日本に漂う空気とシンクロする。
回を追うごとに来る人の話を聞くのが一種楽しみになってきた。だから続いたのだ。
だんだん、自分の気持ちが、この城下町を考えることに集中してきた。
結局、私の人生の最終点であり、始発点に戻ったと考えるようになってきた。最終点は、自分の故郷、この地に生まれ、人生の始まった場所のことである。
犬山城下町は、わがパトス(ふるさと)でありポトス(ばしょ)である。
私がスピーカーになり、「犬山祭」の話もした。
この一年間で、最も興味深かったのは、愛知県埋蔵文化センターの赤塚次郎さんの話だった。この地の氏神である針綱神社の歴史を古代時代までさかのぼって「東ノ宮古墳」の話になった。一気に犬山城下町の物語が歴史を遡り、広大無辺の地平が広がった。
時間軸というものは、現時点を起点とすると、未来を見はるかすのと過去に遡ることとは、上に行くか下に行くかの違いはあるが、同じ時空の広がりを持つ。歴史を2000年遡ることは2000年の未来を見ることとほとんど同じ時空を飛翔できる。時間軸をそんな風に使って自分自身の人生を先祖の歴史と結びつけることができた。
今年得た最大の収穫であった。
そして、来るべき来年はこの流れの中で、己の人生を進化させていこうと思う。
これから除夜の鐘を突きに行く。
新年が冬来るのはいい。
時間の切り替えは縦に空間を裂き
切面は硬金属のようにピカピカ冷たい。
精神にたまる襤褸をもう一度かき集め、
一切をアルカリ性の昨日に投げ込む。
私はまた無一物の目新しさと
すべての初一歩の放つ芳しさとに囲まれ、
雪と霙と氷と霜と、
かかる極寒の一族に滅菌され、
ねがわくは新しい世代というに値する
清楚な風を天から吸おう。
最も低きに居て高きを見よう。
最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。
ああしんしんと寒い空に新年は来るという。
高村光太郎