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11月26日 スピーチ

11月26日 スピーチ

パーマリンク 2013/11/27 11:53:09 著者: y-ishida2 メール

政治家という職業に生きてきたので、スピーチをするという事については他の職業の人より多少注意深く、自分なりに研究もしてきたつもりだ。

最近は大学に籍を置き、学者との付き合いが増え、また、シンポジュームとか研究会に出席する機会があり、学者の話を聞く機会が多くなった。学者という職業はとにかく書物を読むからどうしても話が説明になる。そして、大学関係者の話はほとんどがコンピュータを使い、資料の山だ。
先日中部大学で催されたシンポジュームで、私以外のパネラーは全員コンピュータを駆使していた。ほとんど書物の文章のみをパワーポイントで説明していた人もいた。何だかコンピュータを使うと科学的なイメージで、より高度なことを言っているような気がするが、実際聞き手に伝わっているのだろうか。
私は疑問に思う。

勿論スピーチといってもケースバイケースではあるが、所詮スピーチは話し言葉で表現し、伝達するのが原則ではないか。
私はまとまった話をする時はストーリーのレジュメは作るが、あえて電子機器は使わない。話の進行によって黒板を使いチョークでキーワードだけを手書きすることにしている。
私は作家の話を数人聴いたことがあるが、作家は話がうまい。なぜか。作家という職業は物語を作るプロだからだ。話は物語ることと心得るべし。
頼山陽は物語を常に起・承・転・結で構成した。
「大阪本町 紅屋の娘
姉は17 妹15
天下の諸大名 弓矢で殺す
紅屋の娘は 目で殺す」        起承転結のモデルとして、レジュメを作るとき拳拳服膺している。

先日至学館大学での「祭シンポジューム」で、中沢新一さんの講演は私の人生に残る感動の名講演だったが、何の資料も無く、ただ喋るだけの時間帯だった。私は一字一句聞き逃すまいと必死でメモを取り、集中した。

話は物事を説明することではなく、言葉を植え付けることである。と小林秀雄は言っている。彼はスピーチの勉強にと落語をよく聞いたそうだ。
そのエピソードを知り、私も談志の落語や虎造の講談を何度も聞いたものだ。森繁の読み語りも絶妙で、引き込まれる。

このように、私も私なりに努力をしてきたが、話は難しい。瞬間芸術で、捉えどころがない。
世の中には実に話がうまく、うらやましくなるような才能の人がままいる。
私も、あなたは話がうまいといってもらえるような人間になりたいと思ってこれでも研鑽をつんでいる。

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