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至学館大学の伊達コミュニケーション研究所長としての初仕事、「日本の祭シンポジューム」を開催。
基調講演に哲学者の中沢新一さんをお願いし、他のパネラーも私自身考え抜いて選んだので、発信する側は準備万端自信満々だったが、聴衆側は何人来てくれるか心配だった。 100人来てくれればいいかなと思っていたが、開けてみると200人近くの人が来てくれた。まずこのことに胸をなでおろすとともに、来ていただいた人たちに感謝したい。
大学主催の研究会はほとんど人に聴かせるという視点がなく、発表することに力点を置く。 その点で、私の企画は、至学館大学に新たな地平を開いた。政治を職業にしてきた者が大学に入れる新しい血液だ。
大勢聴きに来てくれたことに応えるかのように、中沢さんが、圧倒的なスケール観の話をしてくれた。
哲学という言葉と概念を私は好きだ。彼は哲学のない人間だとか、あの人の話には哲学を感じるとかいう時、それは、単なる個別のテーマではなく、人生について、生き方そのものについての次元となる。今日の中沢さんの話は、人間はどういう原理で生きているかという視点で、圧倒的な知性と思考の深さを感じ、言葉の力にほとんど酔った。
中沢さんの話で、一番鋭く私の心に突き刺さったのは、祭の原理は、ムダ使いすることいわば富の蕩尽にあり、経済成長が意味があるというのは企業家のでっち上げである。祭をやることはある意味経済成長とは何かをわれわれに問いかけているという切り口だった。
我々は、金に限らず、時間やエネルギィを後先のことを考えず、ハメをはずして浪費するとき、一種爽快感を得る。爽快感を通り抜け、陶酔感といっていいような世界に入る。祭にはそんな魔力が潜むし、その魔力がエネルギィとなり生命力を生むことを知っている。
基調講演の後、国学院大学教授の茂木栄さん、京都祇園祭理事長吉田孝次郎さん、文化庁調査官菊池健策さんがそれぞれの立場から祭を考察した。私としては、茂木さんから、もう少し日本人の信仰心というようなテーマで、神道について専門家の話を聞きたかったが、時間の制約があったので、腹膨るる思いであった。
世の中にはシンポジュームが溢れている。政治、経済、医療、社会保障、エネルギィなどなど。しかし、今日のテーマは新鮮であった。私の狙いに参加者は今後どう反応してくるのだろうか。
今日の議論を今後どう発展させたらいいのか、暫くゆっくり温めながら考える。私の役目は、議論の次の行動にある。具体的にどう次のアクションに結び付けていくかである。 人が本来持つ祭に対するエネルギィを素直に引き出しさえすればそれでいいのだが。