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11月3日 文化の日

11月3日 文化の日

パーマリンク 2013/11/06 07:45:37 著者: y-ishida2 メール

今日は「文化の日」という国民の祭日だが、戦前は「明治節」と言って明治天皇の誕生を祝う記念日であった。わが国は大東亜戦争に敗戦し、それまでの帝国憲法を廃止、天皇制を大きく見直したが、やはり国体の根っこにはこの日本史の継続性がある。新憲法や天皇制を考えることも大切だが、今日は文化について考えた。
17日の「日本の祭シンポジューム」が近づくにしたがって、私の頭の中は、「祭」をどう考えるかという事に集中しつつある。始めは、伝統的な宗教行事に基く祭以外は意味がないと思い込んだが、だんだんいろいろな人の意見を聞くうちに、考え方も多少柔軟になり、視界が広がった。
これも一種「祭」と呼ぶが、岡崎市の「ジャズストリート」に参加した。このイベントの仕掛け人、同前慎治さんから招かれ以前からファンの1人である。この日、この町に入ると岡崎という町全体がジャズにスィングしているような軽快感に絡み取られる。音楽の力だ。市民の表情が何時もとは何処となく違って見える。文化の力だ。日本ジャズ界至宝のドラマーと呼ばれる森山威男カルテットの演奏に酔った。晩秋の午後、岡崎城能楽堂。市民は溢れ、求め、満たされていた。
先日私は京都洛北のとある寺院を訪れた。比叡山を借景に枯山水の庭園があり、それを眺める廊下に岡本太郎の解説があった。曰く「借景とは大自然と人工的な構築物との相対する存在の芸術的弁証法である」
何故祭に人が集まるのか、何故人は祭をやり続けるのか。そしてまた、これからもそれを持続することが大切なのか。私は考える。
この日、岡崎に行く前に、知多半島阿久比の秋祭りを観た。「萩大山車保存会」会長の青木賢治さんに山車の最上階に乗せてもらって巡行した。青木さんは山車の天井にオレのじいさんが寄付した名前が書いてある、このことはオレの息子が成長したら言い伝えていくと話した。日本の祭は先祖との邂逅であり、血の繋がりを継承する。
ここでも、人は溢れ、満ち足りていた。
私は現在、人の集まる原理をこんな風に整理する。
日本の伝統的な祭りは地縁・血縁の共同体を形成する力となり、持続力となる。音楽やスポーツなどで人を引き付けるイベントは文化力で人の心を捉え、集合させる。前者は歴史という経糸(たて)であり、後者は現世の緯糸(よこ)世界だ。この、いわば、縦糸と横糸でゴブラン織りにするのが磁力あるまちづくりではないか。それが、まちという空間を3次元から4次元空間にする。
その時まちは持続可能な、永遠の生命体と成る。
ただし、今後至學館大学で追求するのは、縦糸の論理、グローバルエコノミーが破壊する、地縁血縁を重視する共同体の再生である。

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