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9月1日 netと若者

9月1日 netと若者

パーマリンク 2013/09/02 07:36:09 著者: y-ishida2 メール

若者が悪ふざけをし、その写真をネットで発信、世間の顰蹙を買っている。少々の悪ふざけなら我慢もできようが、社会の秩序を乱したり、人に迷惑をかける事件にまでエスカレートしている。しかし当の若者は自分のしたことの意味が分からなくなってしまっているらしい。若気の至りという言葉は昔からあり若者は少々の悪ふざけはやるものだが、それをネットに載せて世間に見せるという事が、時代の事件になった。
人間には個人差はあるが目立ちたい、注目されたいという本質はある。その注目のされ方、目立ち方の鼎の軽重が分からない若者が世間の批判に会い、逆説的に言うとネット社会の犠牲者ではないかという気もする。
それは、ソーシャル・ネットワーク・メディアの持つ映像の力にあるような気がする。確かにネットの伝える写真、動画の威力は圧倒的な表現力を持つ。映像の力は一瞬にして、しかも労せずして情報を伝達してしまう。文章によって説明することなどまるで児戯に等しいような錯覚に陥る。大きな落とし穴だ。
ネット社会において、文を推敲するという事についても述べたい。ツウィター、FB,Eメイルなど、あの片言隻句には自分の考えは語れない。今どこにいる、これから何をする、今誰と会っている等、私に言わせるとどうでもいいことを主体性のないふにゃふにゃな文章で垂れ流ししているにすぎない。それはそれで、喫茶店で世間話しているレベルのことと考えればいいのかもしれないが、自分の主体性を持った意見を語るためには、ほどほどの字数の文章でなければ無理だ。
私は公職にいた時、役人の書く文章が長すぎるのに閉口した。説明文はなるべく簡潔に、資料は極力少なめに。私が行政職にある者に絶えず言ったことだ。しかし、最近の若者には逆のことを言いたくなった。文章はもう少し骨のあるものを長めに書け、と。

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