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8月15日 終戦記念日

8月15日 終戦記念日

パーマリンク 2013/08/21 07:43:13 著者: y-ishida2 メール

昭和20年の生まれである私は毎年この日前後のマスコミ報道に注目する。大東亜戦争をどういう風に日本人は考え、マスコミは報道するか大きな関心がある。今年もおおむね反戦の論調が主流を占めた。特に気を引いたのは、いまだ終戦に至っていないというテレビ番組。それは沖縄の現状やTPPを見るとわが国は、何となくアメリカに逆らわなく上手に立ち回った方が楽で利口な生き方であると思っているという指摘だった。    
ナルホド。日本はいまだ緩やかだがアメリカの植民地支配を受け入れている。国会議員も国民はそう思っているからと空気を読んだ、国民と政治家の共同合作かもしれない。
それにしても戦後はまだ終わっていないと特に感ずるのは靖国神社のことだ。結論から先に言うと、あの神社はもうそろそろ失くして欲しい。
何故、あんなに国際世論を騒がせてまで国会議員が大挙して参拝を繰り返すのか。
私の叔父は終戦直前サイパンで戦死した。その叔父が戦死するのと引き換えに私がこの世に生を受けたので、私はその叔父の生まれ変わりだと周りから言われて育った。だから私は靖国神社へは何度も参拝し、戦争と伯父の気持ちに思いを馳せてきた。しかし、政治世界に入り、先の大戦の経緯やその時の政治家の動向を私なりに検証するうちに、靖国神社は国家の戦争責任のシンボルのような気がしてきた。
日本民族の死生観は死者の霊は全て神になり讃えられるところとなるし、今日のわれわれの生活は、国家のため戦った英霊のお陰であることは百も承知している。が、それを祭るのがなぜ靖国でなければならないのか疑問が生じてきた。日本の祭に関心を持ち、私なりに日本民族の遺伝子に伝わる死生観を学んだ。それによると、古来日本人は死ぬとその死者の霊は故郷の山や森に返っていくと信じてきた。死者の霊は故郷の鎮守の森、産土神や氏神の集う故郷の神社に返すのが日本民族の本来の在り方ではないのか。そして、故郷のご先祖神として生者たちの幸せを見守る存在なのではないのか。故郷の祭やお盆はその生者と死者との邂逅の場であるのだ。
私は、叔父をいつまでも靖国神社に留め置き、毎年中・韓両国の批判にさらされ、右翼と左翼の激突の喧騒の中で終戦記念日を迎える現状にはやりきれない気持ちになる。靖国に眠る国家の為かけがえのない命を奉げた英霊たちは、完全に政治の道具にされている。

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