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5月30日 エベレスト登頂

5月30日 エベレスト登頂

パーマリンク 2013/05/31 13:53:59 著者: y-ishida2 メール

冒険家三浦雄一郎さんが80歳の御年で地球最高峰エベレスト登頂に成功したニゥースは日本中に明るい希望を与えた。高齢者の世界記録で、日本人として誇りに思う。人間というものの可能性を語って歴史となる。彼は、実に用意周到準備を重ね、緻密な計画を踏み、強い意志と強靭な肉体を持ったワクワクするようなロマンテックな冒険家だ。
一方、ここで私は千日回峰の大阿闍梨、酒井雄哉さんのことを思い出した。私の衆議院選挙の必勝と国政の安寧を祈願すると言って、さる方に酒井雄哉さんがご住職を務める比叡山飯屋谷の長寿院へ連れて行ってもらったことがある。千日回峰とは比叡山を1000日回峰し、国家の平安を祈る宗教行為だ。途中で断念した時自殺する短剣を持するという。3年間は1日30キロを6時間で巡回を100日。次の2年間は200日。ここで、断食・断水・断眠・断臥を9日間行い、生身の不動明王阿闍梨となる。更に6年目は一日60キロを100日、最後の7年目は1日80キロで1000日に達し終るという、すさまじいものだ。即、修行が済んだという報告を京都御所に下足参内。国家の平安を祈願する。科学世界では絶対死ぬが、人間という生命体の持つ摩訶不思議な精神世界だ。私はこの酒井大阿闍梨に必勝の護摩を焚いていただいて後、お話を承った。大正15年のお生まれで、歴史上初めて二度目の千日回峰をやられたのは60歳であったという事も知った。
70戦目に負けたあの不出世の名横綱双葉山は、歴史に「我いまだ木鶏たり得ず」という名台詞を残しているが、本当に強い人は表面強そうに見えない。自然体で力みがない。ごく平凡な老人に見えるのが双葉山の言うところの「木鶏」なのだろう。私のお会いした酒井大阿闍梨もそんな人だった。日本史の中から静かに日本人の生き方を説かれ、砂地に水が浸み込む如くゆっくりと国家や平和の意味を話され、鮮明な印象を受けた。
三浦雄一郎さんが無事帰国し、テレビで話を聞いた。彼も木鶏の如く、ぎらついた虚勢は少しも見えず燻銀のような魅力を感じた。
ただし、私としては三浦さんの口から、エベレストの山頂で世界平和を祈ったとか、東北大震災の早期回復を願ったとか言って欲しかった。日本人の山登りは古来「開山」と言い山岳信仰であり宗教の対象でもある。ところが、欧米人の山登りは征服であり自然への挑戦だ。
登山とはテーマは違うが、私は、日光東照宮を始めてみた時、あの建物に、日本人の宗教観を見た。あの建築は仏教思想の権化であり、そこに徳川時代の平和へのメッセージを痛いほど感じ、圧倒された。三浦さんは構築物で比較すると、科学の粋を集め世界最先端、人気絶頂の東京スカイツリーだ。

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