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まちの字には町とか街という漢字が普通使われますが、最近ひらがなの「まち」の字を見かけます。ひらがなのまちには、祭りだとか文化だとか歴史などいわゆるソフトウェアーをひっくるめた、多様な市民活動のイメージが込められています。「都市計画」という言葉がありますが、この言葉はいわゆる役所用語で、市街化区域に限定した主に道路建設や公共施設などハードウェアーの街づくりのことです。「まちづくり」というのは総合的なものと考えますので、私はたいていひらがなのまちづくりという表現にしています。
このまちづくりで最も大きな影響を及ぼすのが、自治体どうしの合併です。
何故かというと、目に見えるハードウェアーはある程度財政力で解決できますが、目に見えないソフトウェアーはカネの問題ではない心の価値観が絡むのです。地域にはそれぞれ微妙に違った伝統や個性がありますから、合併したと言って、なにもかも一律基準の運用には馴染まないものもあります。まちづくりにとって大切なことは心の求心力です。
実は合併問題の落とし穴がそこにあるのです。
わが国は近代国家になって三度の自治体合併を経験してきました。一回目が明治政府による合併。二回目が戦後の大合併で、三度目が平成の合併です。この平成の合併前、全国にはほぼ3300の市町村がありましたが、合併を経た現在は半減しほぼ1700に整理されました。
合併論が台頭するときは必ずそれなりの時代背景があるものです。平成の合併論の背景には地方分権という時代の潮流がありました。わが国は明治以来、欧米に追い付け追い越せと劇的なスピードで近代化を成し遂げ、戦後は焼け野原から世界トップクラスの経済大国に急成長しましたが、それは極度にコントロールされた中央集権という体制があったからです。
ところが経済成長も頂上を極め、バブルが崩壊し、財政赤字が深刻になり、極端な少子高齢化社会とグローバル経済の時代背景を受け、国と地方の役割の見直しが必至となったのです。地方分権とは一言で言うと国と地方が対等の関係になるということ、自治体が国から財政的に自立するということです。画期的な時代思想と言ってもいいでしょう。最近大阪の橋下市長がメディアの寵児となった感がありますが、彼の言っている大阪都構想や道州制もこの地方分権の文脈の中に捉えることができます。
そこで下呂市のことです。
下呂市は8年前に五ヵ町村が合併し誕生しました。私は8年前下呂市には住んでいませんでしたので、当時の住民や、町長たちの気持ちを語ることはできませんが、相当悩みが深かったことは容易に想像できます。私は犬山市長としてこの合併問題には、真正面から取り組みました。われわれの場合は、犬山市・江南市・岩倉市、大口町・扶桑町が合併するという原案でした。それぞれの自治体にはそれぞれの事情がありますが、最大のキーは財政力の格差です。犬山市も賛否両論、市民の中にも市議会も両論あり綱引きが始まりましたが、私はいち早く、市長として合併はしないという考えを打ち出しました。もちろんこの私の考えに反対する意見も多々ありましたが、国からの特別な支援を当てにせず、犬山市だけで頑張ればやれるし、そのほうが市民の結束が強くなると思い、合併の協議から離脱しました。
犬山市は合併せず自立の生き方を選択しましたが、その後人口、観光客ともに増え、財政力も豊かになっています。合併しなかったデメリットは何も探し出すことはできません。一方下呂市は合併後、極端に人口が減少し、財政力は落ち込み、まちの求心力を失い、自治体としては正直半病人です。
下呂市のみならず、実は全国で合併をしてかえって、力が落ち、問題が発生した自治体のほうがに多いのです。私はこの現象は、合併を選択した自治体は結局「合併特例債」という中央政府のカネに目がくらんだからだと結論づけます。それは時代の思想である地方分権の意味が理解できず、国から自立の気概が薄く、市民の側に立った市政を本気になって進めようという気迫の欠如のように思えます。
まずそのことに気づくことが下呂市再生の一歩です。