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2月3日「 ましたむら」寄稿3

2月3日「 ましたむら」寄稿3

パーマリンク 2013/02/04 09:50:57 著者: y-ishida2 メール

下呂市に「ましたむら」というコミュニティー紙がある。そこへ私も寄稿しているので今日から3日間連続でそれを載せることにする。

「ましたむら」前号で合併論について私見を述べました。
今号では、その合併論の背景になった地方分権の時代背景を体験から語ります。
この地方分権の対極にあるのは中央集権です。わが国は145年前、幕藩体制による鎖国に終止符を打ち、明治国家を樹立しました。それまでの日本人にとって国という概念は、ふるさとのことでした。飛騨の国、美濃の国、尾張の国こそが自分たちの国でした。明治国家とは欧米先進国にモデルを求め、頭で考えたイメージの国づくりでした。そのためには中央集権が必要であり、東京は日本列島の配電盤だったのです。
明治期の国づくりの第二幕は、67年前第二次世界大戦の終戦時です。敗戦し国家主権を失い、GHQ支配下でつくられた草案が今の日本国憲法となりました。卓越した日本研究でベストセラーになったドキュメント「敗北を抱きしめて」の中で、著者ジョン・ダワーは戦後のわが国を「日本・アメリカハイブリットモデル」と呼んでいますが、戦後のわが国は憲法をはじめ、何でもかんでもアメリカ流が上から降りてきました。GHQは、大戦末期の国家総動員システムを使い上意下達、官僚主導、中央集権を逆に強め、戦後日本の国づくりを進めました。また、このやり方は極めて効率よく、集中的に戦後わが国の経済成長を中心とする国づくりに貢献することとなり、焼け野原から奇跡の復興を遂げ、20年そこそこで日本は世界の経済大国にのし上がるのです。
しかし、経済成長がピークを過ぎ、バブルが崩壊し、アメリカの力に陰りが見え始めた20世紀終末、そろそろこの上意下達、官僚主導、中央集権システムの限界が見え始めてきました。また、経済のグローバル化、人口の少子高齢化がこの傾向に拍車をかけます。
1995年5月、国会は地方分権を決議。この年こそ明治政府成立以来の国家主導による成長の分水嶺を越えた、国づくり第三幕が始まった時として記憶に留めなければなりません。2000年から導入された介護保険制度は、この文脈から始まった代表的な行政サービスです。 その後誕生した民主党政権のキーワードは「コンクリートから人へ」でした。この価値転換こそ、土建国家から福祉国家へ、成長から成熟へという大きな歴史の変化を踏まえた地方分権の政治転換でありましたが、この歴史の潮流は停滞気味です。
何故か?
この第三幕では地方政府の役どころが重要になってきたにもかかわらず、実は地方の意識がいまだ中央依存から脱しきれてないのです。例えば、「行政指導」という法律には書かれていない暗黙の基準みたいなものがあります。中央政府からの「命令ではない命令」です。地方分権以来この行政指導というのは原則無くなりましたが、多くの自治体はこの中央政府からの行政指導なしに、単独で判断する気迫がないのです。
昨年末の衆議院選挙を私は地方・中央両方の政治経験から、世論に耳を傾けました。しかしながら、国づくりの基盤となる地方分権とか地域主権という論議はほとんど素通りしてしまいました。国政や国会議員は、実態よりも何倍もの拡大鏡を当てて見られていますし、期待もされ過ぎです。国家を支え、静かではあるが確実に国家を変えていくのは、国民一人一人が身近に感じる自治体の感覚ではないでしょうか。地方が、自分のことは自分でやるという当たり前の感覚です。にもかかわらず、最大の落とし穴は、地方の意識が中央の指示待ちであるということです。
下呂市の場合、地方分権時代になってから行った合併というまちづくりにはメリット・ディメリット両方がありますが、中央政府からの指示待ちや援助頼みではなく、市民の自力でこれを解決していくのが21世紀の生き方だと思います。

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