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中国映画「孔子の教え」鑑賞。
私の座右の書は「論語」である。高校時代漢文の授業で論語を音読した。江戸時代の学習方法はまず「論語」の音読だった。これはこれなりに教育学的に大きな効果はある。「論語」の片言隻句に満ち溢れる言葉の力が知らず知らずのうちに体に染みこみ、経験に当たった時その言葉が思い起こされ、その言葉の意味を考える。生きる為の指標。それこそが「論語」の持つ力である。日本の政治家、財界人で「論語」の一説を座右の銘にしている人は多い。日本人のみならず、東アジア人の人生観・統治観は論語=儒教世界に大きな影響を受けている。
その点に関心を持ったので、私なりに「論語」は勉強してきた。「論語」の解説書は多く読んだ。「孔子」という小説を書いた井上靖は孔子のことを人類の教師と呼んだ。哲学者梅原猛は孔子を挫折した革命家と呼んだ。中国古代文学の泰斗白川静の「孔子伝」は人間孔子を描いて秀逸だった。
今日の映画は、孔子の発する言葉の力をどう表現するかを注目して見に行ったが、それは、「論語」という書物が最初から頭にあるのであって、映画の映画たる表現力は、映像にありと頭を切り替えた。この映画には激しい戦闘場面がふんだんに出てきた。孔子の偉大さは、あの春秋戦国時代、乱れに乱れた世の中に「仁」というヒューマニズムを高らかに掲げたことにある。私には、現在のアラブの紛争地のイメージと重なった。
「朝に道(正義が行われているという話)を聞かば夕べに死すとも可也」という孔子のかの有名な一句は、仁義なき紛争のさなかにあって強烈な光彩を放つ。
この映画の監督はフー・メイという女性と知った。孔子の他人と争わないという生き方をテーマに女性ならではの感性で映像化したものだと私は観た。