今日もまた選挙についての経験を述べる。
政治世界のスタートは国会議員の秘書から始まった。地元担当の秘書だったので、支援者を訪問し、後援会組織を固めることが仕事だった。だから県会議員に立候補した初めての選挙は戸別訪問から始めた。ベテラン現職への挑戦だったので、自分なりに計画を立てて、10か月毎日選挙区中を歩いて回った。人口73000の犬山市を妻と手分けし、ほぼ全戸3回は回っただろうか。市中を這うように、舐めるように熟知し、思いを込めた。この時接した人たちとの出会いと知識が、大衆政治家としての私の原点になり財産になった。率直に言って自分は選挙に強い男だと自負していた。
その後、県議選3回そして、市長になったころからだんだんこの戸別訪問がおっくうになった。戸別訪問ばかりか後援会活動が少々うっとうしくなったことは事実であった。心身を緊張させ人と交際することや、大勢の宴席で雑談することが何だか時間の無駄使いのような気がしだし、政策論をしたり、書物を読んで理論の世界に入り、理解したと納得するほうが快適になってきた。またそのほうが進化でありレベルが上がったと思うようになった。振り返るとそのころから選挙が弱くなったのではないかと思う。
若いころ秘書として仕えた江崎代議士が何かの時に言った言葉を思い出す。著作などに精を出す政治家は二流である。政治家というものは、そんなことに時間を割く暇はない、と。 40年にわたる政治世界での観察によると、政治家には大別して二つのタイプに分かれる。一つはいわゆる論客と呼ばれる人物。理詰めな議論好きで自信が表に出る。他方は政策論には無頓着で剛腕で押すか、融通無碍な世渡りだけの人物。どちらかというと、書籍を愛したり、理論に傾くタイプは選挙は弱いように見る。