犬山羽黒・羽黒城址の一円、
いまは掘跡が竹林となり、小高い古墳跡の丘に城址碑が立つ。
「羽黒城址 竹林園」として整備が進み、開園セレモニーとなった。
記念講演で犬山歴史研究会・小田昭午さんが、
「地籍図で探った羽黒城址のお話」を語られた。
羽黒には、
二つの羽黒城(中世の城館と、戦国の世の砦城)があった、と。
第一期の”羽黒城”(中世の城館):
奈良~平城~平安期の藤原一族の荘園であった「小弓の荘」。
平氏、源氏の栄枯盛衰の世に、この地も梶原氏同様、時世に揺れる。
”武士の世”を開いた源頼朝の軍師:梶原景時の遺子(景季の子:景高)が、頼朝亡きあと、縁りの地:羽黒へ落ちのびる。
その後は梶原氏が代々居を構えたとされる「梶原氏の城館」。
いまは城館が 菩提寺の興禅寺となる。
(興禅寺は、西方の比良賀神社境内先の地から 城館跡へ移った)
”武士の世”を開いた源頼朝(と その軍師:梶原景時)から400年。
織田信長の”天下布武”の上洛にも就いていた梶原氏は、
本能寺の変で、信長とともに炎上殉死する。
国許の梶原氏の城館が、跡目争いの「小牧長久手の戦い」の戦乱の舞台に晒されようとは、知る由も無かったであろう・・。