アーカイブ: 2014年11月10日

グランド歌舞伎挨拶文

パーマリンク 2014/11/10 22:30:24 著者: y-ishida2 メール

今こそローカリズム        前衆議院議員 石田芳弘

「身土(しんど)不二(ふじ)」という言葉があります。身は土と無縁(不二)ではない、という意味だと思います。人間はそこに住む土地、環境と一体であると理解します。そこから、地域の生活が生まれ、文化が創造されるのです。
この身土不二のわかりやすい例として、私は日本列島津々浦々に残る、神社の祭礼を上げたいと思います。日本の伝統的祭はすべて、自然崇拝の多神教の信仰心がベースにあります。
私は政治という職業を選択し生きて来ましたが、この身土不二という言葉を地域主権に置き換え、地域にこそ政治を動かす力があると信じ続けてきました。ローカリズムです。
二十一世紀に入って世界の潮流は一気にグローバリズムの勢いを強めた観があります。グローバリズムとはボーダレス、いわば国境線をなくそうという価値観ですから、国家を飛び越える、ましてや地域固有の特性にはこだわるなという思想です。平和だとか人権とかのテーマを扱うためには適した考えかもしれませんが、グローバリズムが経済活動に収斂されつつある今の趨勢は、コミュニティの紐帯を切断し、文化破壊につながる恐れを危惧します。
私が衆議院の文科委員としてこのテーマを考えていた時出会ったのが日本伝統芸能振興会の竹柴源一さんでした。
その時まで私は歌舞伎というものにそれほど深い考察をしたことがありませんでしたが、竹柴さんの歌舞伎にかける思いに触れ、歌舞伎を通して日本の文化とはどういうものかという事がまさに、腑に落ちました。
歌舞伎文化こそ日本人の身土不二・地域主権の大衆文化なのです。
竹柴さんの話で私が当時政治家として興味引かれたのは、1945年わが国は第2次世界大戦に敗北、GHQの占領政策下、歌舞伎は上演禁止になります。封建制の価値観や、仇討を礼賛する歌舞伎こそが日本の大衆のメンタリティを形成しているものだとGHQは判断したのでした。マッカーサーの副官であったパワーズが歌舞伎に理解を示してくれたものの3年間の禁止期間にわが国の歌舞伎は壊滅的打撃を受けました。(日米両国でベストセラーになったジョンダワー著のドキュメント「敗北を抱いて」参照)
戦後わが国ではアメリカ文化である映画やミュージカルが大衆娯楽の世界を開きます。日本の様式美は古臭いと、日本人の価値観から捨て去られていきました。
戦後の日本は文化面においても、アメリカ主導であったという何よりの証に思えます。
一方、今、歌舞伎は復活の兆しを表しつつあります。二十一世紀に入ってユネスコの無形文化遺産にも認証され、世界に歌舞伎文化が評価されつつあることは誠に喜ばしい限りです。
しかしながら歌舞伎の原点は身土不二、地域から内発的に沸き起こる土着の芸能であったという事を忘れてはなりません。ユネスコの無形文化遺産に評価されたのはコミュニティとの一体関係が伝統的無形文化として位置付けられたからなのです。
大資本が作る洗練されたエンターテイメントではありません。また、同族の名門で固めた権威の象徴ではなく、かぶいた多少ヤンキーな若者たちのエネルギーが生み出した時代を開くアバンギャルドでもありました。
この度、グランド歌舞伎の発足に当たり微力ながら応援したいと思ったのは、日本人として歌舞伎文化の原点を見詰めることにより、今の日本を考えたいと思ったからにほかなりません。
「源泉へのたえざる帰還」という哲学者田辺元(はじめ)の言葉を引用し、グランド歌舞伎応援の挨拶といたします。

世襲制について考える

パーマリンク 2014/11/10 22:28:04 著者: y-ishida2 メール

明治村の呉服(くれは)座で「グランド歌舞伎」が始まる。グランド歌舞伎とは歌舞伎をもっと身近なものにする、安くて、誰でも演じることができるようにしようという演劇運動である。
「日本伝統芸能振興会」の竹柴源一さんが言い出し、共鳴して私が実行委員長を引き受けた。
現在の歌舞伎界は世襲制になっている。名門歌舞伎の家柄に縁がないと歌舞伎界で名を成すことはできない。どんなに歌舞伎が好きでも、国立の歌舞伎専門学校で学んでも、主役を演ずることはできないシステム、世襲制になってしまっている。歌舞伎の起源は士農工商以下の階層から興り、誰もが参加できる大衆が生んだ演劇文化である。
で、本来の歌舞伎に戻そうと、地芝居出身の俳優松井誠さんが、いわば「歌舞伎ルネッサンス」を考えたのがグランド歌舞伎だ。
最初、この歌舞伎界の現状を聞いた時、現在の歌舞伎世界は世襲制の虚構をつくり外の血を排除している差別の世界ではないかと私の内なる社会正義にむらむらと火が付いた。階層社会の武家文化だった能と、大衆演劇であった歌舞伎をいっしょくたにしてしまい、歌舞伎を権力の象徴にした。繰り返すが、歌舞伎は本来列島津々浦々に点在した地芝居がベースの大衆の娯楽だったのだ。
政治の世界に目を転じる。小渕優子経産大臣の政治資金問題で明るみになったが、あの金銭感覚から世襲議員の弊害が見えてくる。今や衆院議員の4人に1人が世襲議員、政治世界も世襲制と言ってもいいのではないか。 若い頃、私が仕えた衆院議員の後継はまさに世襲だったから政治家の世襲の実態はよく知るが、危ういと感じる人が多い。福沢諭吉は幕末の頃アメリカを視察し、武家社会の不平等な世襲制を徹底的に批判、江戸幕府の転換を迫った。
世襲で親の跡を継ぐ者は所詮親の七光であり脛齧りだから自分の職業を自分で切り開くプロセスが無く、最初苦労をする立ち上がりの核心部分が抜け落ちている故にどうしても脇が甘くなる。特に自民党の政治家は、利権や体制側と結びついているから、支援者もどんぶり勘定の強固な利権集団になっている。
歌舞伎世界でも、政治世界でも、これは個人の資質や責任を超えたところに到達してしまっているという気がする。
アメリカでは、大統領や自治体の長は2期8年以上は出来ない制度になっている。長期に渡って権力を独占する者は必ず腐敗するという人間の性を見透かした賢明な知恵なのだと思う。
時々、何処の馬の骨だかわからないような人物が名を成していく世の中こそ、風通しのいい民主主義社会と言えるのではないか。
我が国で世襲制は天皇だけでよい。

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