関市の山中にある迫・農産物直売所へ行ってきた。
スーパーの食品売り場でなら、
ここにあるものはみんな手に入る時代。
なぜ、直販所へ行くのだろう・・。
結論は出た・・:
スーパーのは「食料品売り場」。
値段は スーパーが決める。
(スーパーの人は、買っていただける値段にするから、
消費者が値段を決めている、とのたまうが)
(買う人は、
その食料品ですぐ調理できる形、大きさ、量を好んで選ぶ)
農産物直販所は「食材売り場」。
値段は 農家が決める。
(わたしの作った農産物はこれだけのコストをかけて出しているので、農業で一家が暮らしていくために、これだけの値段で買ってください)
(手間ひまをかけ、味と安全をわたしが保証します)
(採れたての新鮮だから、冷蔵庫にも容れず、保存剤処理もしていません)
(買う人は、
この食材だったら、どんな料理に、どう調理しようか、と愉しむ)
2分の1カットしたり、パック入りや密封包装などいたしません。
田畑で収穫したそのままで、お分けします、が直販所の決め処なのだ。
食材を手に入れるところ。
それが農産物直販所なのだ。
安いから買う、すぐ調理できるから便利を買う・・
そんな人は、食料品売り場へ行けばいい。
いま、旬の野菜を食べたい、なら直販所へ行こう・・。
孔子の教えに「九思の教え」がある、と知った。
君子(政治指導者)の生き方、処世の仕方について、孔子の言う「君子の九思」と。
それは、
(1)見るときははっきり見る、
(2)聴くときははっきりと聴く、
(3)穏やかな表情で生活する、
(4)絶えず謙虚な姿勢を貫く、
(5)誠実に話す、
(6)仕事は慎重に丁寧に行う、
(7)疑わしいことがあるときは質問する、
(8)怒ったときはあとで起こる面倒を考える、
(9)利益になるときには道義を見るべし、
という九つの教えだという。
作家・赤瀬川原平さんのエッセイをパラパラと拾い読み。
人は年老いれば 誰もが「ワケあり」の体になる。
嫌いなもの、いやなことを 思い巡らすよりも、
好きなものを思い浮かべ、愉しいことに向かって行くのを想像する。
どうせ 明日になれば一日が始まるのだから・・。
ワケあり下取り品に成り下がるより、
まだまだこれからも!使い続けられる「中古良品」で居たい。
そういえば「無印良品」という屋号で、
まさに無印良品の 品揃えに ワクワクしたよな。
ほんとうは「ワケあり」の体なのに、
中古良品の現役の ご老体のほうが 生きがい やりがいがある。
エッセイストって、うまいことばを使うなあ。