映画「マエストロ」を観た。
私は政治家の仕事を説明する時、オーケストラの指揮者を例に出す。作品の意図を解釈し、演奏者である個々のプレーヤの力を引き出し、一定方向に向かわせる力は指揮者の役割であり、それが政治家の、就中市長の仕事の参考になると語る。
ある偶然から、名古屋フィルハーモニーの指揮者であったハンガリー人、モッシェ・アツモンさんと友人になった。オーケストラを聴く時指揮者は誰かが問題になる。
指揮者の役割はまた映画や団体スポーツの監督の仕事とも重なる。
私は、中日ドラゴンズのファンであるが、落合博満監督の選手のポテンシャルを引き出すセンスと選手交代の決断は勉強になった。
また、映画監督もそうだ。犬山市長時代松井久子監督のロケを手伝った。映画にはまず原作があり、それを映画化しようと思う表現への情熱から始まる。映画の場合は脚本家、プロデゥーサー、俳優、音楽家、カメラ、エキストラなどなど、実に多くの人間と才能と情熱が参集するが、その集団をまとめ、作品に解釈を与え、一定の方向へ引っ張っていくのは監督である。どの分野でも、監督という存在は教養人であり、個性を確立したリーダーシップを発揮できる人物だ。
リーダーシップとは、時として「烏合の衆」ともなりかねない千差万別な大衆を纏め、一定方向へ持っていく魅力のことである。
さて、話を映画「マエストロ」に戻す。原作者は漫画アクションに連載されたコミック作家さそうあきら、監督は小林聖太郎。アドバイザーとして指揮者の佐渡裕、ピアニストの辻井伸行。ベルリン・ドイツ交響楽団が、ベートーベン「運命」とシューベルト「未完成」を圧倒的な迫力で演奏する。
ストーリは、財政難から解散した楽団が得体のしれない指揮者に召集され再結成。破天荒なリーダーのもとに練習を重ね、見事な演奏をするというも。主人公の指揮者、西田敏行名演するところの天道徹三郎の台詞と役割が、私には政治家のあるべき姿に観えた。
楽団の演奏者たちは、指揮者なんて棒を振っているだけの存在と考えている。しかし天道は、いきなり俺とおまえたちとは「決闘だ!」と言う。音楽なんて、その時を過ぎれば消えてしまい何も残らないが、人と人が響かせ合ってそこに生じた「共響は残る」と。
私は天童の台詞を聞きながら、自分が経験してきた市長と役所の職員との関係が思い浮んだ。役所の人間は市長の存在を、ただ選挙で当選してきて市長室にいるだけで、実際に行政を動かしているのは俺たちだと思っているかも知れない。その時「俺はおまえたちと決闘する!」と乗り込むのが政治なのだ。そして真剣勝負で役所の人間と闘い、心の底から生ずるハーモニーが感動的な共響を作ることができたら、それはまた市民と共響するであろう。この映画の通奏低音のような音楽への愛とヒューマニズムに私は共響した。
リーダーの大切な資質は厳しさと一体をなすヒューマニズムである。