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祭について

パーマリンク 2015/04/02 16:11:55 著者: y-ishida2 メール

私は現在至学館大学の伊達コミュニケーション研究所長として、祭を研究している。研究と言っても、もともと学究の徒ではないので、祭関係者の勉強会のようなものを主宰していると言ったほうがいい。今まで政治にかかわってきて、祭とコミュニティ(共同体)の関係に関心を抱き、このテーマに絞って残りの人生、祭の本質と社会の在り方を追求してみたいと思っている。
祭を考えると、切り口はいろいろある。祭がコミュニティの推進力になっていることは間違いないが、何故かと考えると、日本人の信仰心という問題に突き当たる。政治と宗教という人間の本源的な行為の一体となったものが祭のような気がしている。だから祭は人の心を惹きつけ、社会を構成する磁力みたいな働きをするのではないか。
そんなことに気づき、宗教関係の著作を乱読した。私はキリスト教を創立の根底に据えた同志社大学を卒業した。同志社には希にも神学部がある。ここに学んだ思想家佐藤優さんによると、欧米の大学にはほぼ神学部があり、欧米のインテリゲンチァは一神教を教養として学ぶようだ。
日本人は民族の信仰心の原点である多神教を祭で学ぶ。日本の祭こそ八百万の神の祝祭だ。
わが国民俗学の祖柳田国男は「日本の祭」の中で、我々の信仰には経典というものがない、教祖もいない、祭を持続させることによってのみ、飛び石のように信仰を伝道していく、と言っている。民俗学のもう一人の泰斗折口信夫は、愛知県の花祭りを静かに見入り、縄文の時空間に没入した。まさに、日本の祭は歴史の古層を沈潜し縄文の岩盤に突き当たるから面白い。日本人はどう生きてきたのかを祭は教えてくれるし、古代の来し方を映し出す鏡だ。
また、祭を構成する文化は欧米との違いを明白に語る。私は故郷の犬山祭の中に生まれ育った。3歳の頃から祭囃子の太鼓を敲き、高校生の時には笛を吹いた。笛は当時町内に住んでいた尺八の先生が教えてくれた。私の父も祖母も三味線が弾けた。ただし、学校では一切邦楽は教えられなかった。「脱亜入欧」は明治以来の日本の生き方であり、我々は学校での邦楽学習を捨てた。犬山市長になった時、教育長に小学校で祭囃子を教えられないかと持ちかけたところ、誰が教えるのですかと質問された。私は不覚にも、我が国の義務教育の教師達は日本音楽を学んでない事実を知らなかった。
西洋音楽と日本音楽とは根本からコンセプトが違う。西洋音楽は人工であり、日本音楽は自然そのものの表現である。
私は最近車の中でイタリアのオペラ歌手アンドレアボチェリと邦楽長唄を交互に聞いているが、音楽というものはこの東西の違いを何よりも雄弁に教えてくれる。

マエストロ

パーマリンク 2015/02/06 17:51:40 著者: y-ishida2 メール

映画「マエストロ」を観た。
私は政治家の仕事を説明する時、オーケストラの指揮者を例に出す。作品の意図を解釈し、演奏者である個々のプレーヤの力を引き出し、一定方向に向かわせる力は指揮者の役割であり、それが政治家の、就中市長の仕事の参考になると語る。
ある偶然から、名古屋フィルハーモニーの指揮者であったハンガリー人、モッシェ・アツモンさんと友人になった。オーケストラを聴く時指揮者は誰かが問題になる。
指揮者の役割はまた映画や団体スポーツの監督の仕事とも重なる。
私は、中日ドラゴンズのファンであるが、落合博満監督の選手のポテンシャルを引き出すセンスと選手交代の決断は勉強になった。
また、映画監督もそうだ。犬山市長時代松井久子監督のロケを手伝った。映画にはまず原作があり、それを映画化しようと思う表現への情熱から始まる。映画の場合は脚本家、プロデゥーサー、俳優、音楽家、カメラ、エキストラなどなど、実に多くの人間と才能と情熱が参集するが、その集団をまとめ、作品に解釈を与え、一定の方向へ引っ張っていくのは監督である。どの分野でも、監督という存在は教養人であり、個性を確立したリーダーシップを発揮できる人物だ。 
リーダーシップとは、時として「烏合の衆」ともなりかねない千差万別な大衆を纏め、一定方向へ持っていく魅力のことである。
さて、話を映画「マエストロ」に戻す。原作者は漫画アクションに連載されたコミック作家さそうあきら、監督は小林聖太郎。アドバイザーとして指揮者の佐渡裕、ピアニストの辻井伸行。ベルリン・ドイツ交響楽団が、ベートーベン「運命」とシューベルト「未完成」を圧倒的な迫力で演奏する。
ストーリは、財政難から解散した楽団が得体のしれない指揮者に召集され再結成。破天荒なリーダーのもとに練習を重ね、見事な演奏をするというも。主人公の指揮者、西田敏行名演するところの天道徹三郎の台詞と役割が、私には政治家のあるべき姿に観えた。
楽団の演奏者たちは、指揮者なんて棒を振っているだけの存在と考えている。しかし天道は、いきなり俺とおまえたちとは「決闘だ!」と言う。音楽なんて、その時を過ぎれば消えてしまい何も残らないが、人と人が響かせ合ってそこに生じた「共響は残る」と。
私は天童の台詞を聞きながら、自分が経験してきた市長と役所の職員との関係が思い浮んだ。役所の人間は市長の存在を、ただ選挙で当選してきて市長室にいるだけで、実際に行政を動かしているのは俺たちだと思っているかも知れない。その時「俺はおまえたちと決闘する!」と乗り込むのが政治なのだ。そして真剣勝負で役所の人間と闘い、心の底から生ずるハーモニーが感動的な共響を作ることができたら、それはまた市民と共響するであろう。この映画の通奏低音のような音楽への愛とヒューマニズムに私は共響した。
リーダーの大切な資質は厳しさと一体をなすヒューマニズムである。

グランド歌舞伎挨拶文

パーマリンク 2014/11/10 22:30:24 著者: y-ishida2 メール

今こそローカリズム        前衆議院議員 石田芳弘

「身土(しんど)不二(ふじ)」という言葉があります。身は土と無縁(不二)ではない、という意味だと思います。人間はそこに住む土地、環境と一体であると理解します。そこから、地域の生活が生まれ、文化が創造されるのです。
この身土不二のわかりやすい例として、私は日本列島津々浦々に残る、神社の祭礼を上げたいと思います。日本の伝統的祭はすべて、自然崇拝の多神教の信仰心がベースにあります。
私は政治という職業を選択し生きて来ましたが、この身土不二という言葉を地域主権に置き換え、地域にこそ政治を動かす力があると信じ続けてきました。ローカリズムです。
二十一世紀に入って世界の潮流は一気にグローバリズムの勢いを強めた観があります。グローバリズムとはボーダレス、いわば国境線をなくそうという価値観ですから、国家を飛び越える、ましてや地域固有の特性にはこだわるなという思想です。平和だとか人権とかのテーマを扱うためには適した考えかもしれませんが、グローバリズムが経済活動に収斂されつつある今の趨勢は、コミュニティの紐帯を切断し、文化破壊につながる恐れを危惧します。
私が衆議院の文科委員としてこのテーマを考えていた時出会ったのが日本伝統芸能振興会の竹柴源一さんでした。
その時まで私は歌舞伎というものにそれほど深い考察をしたことがありませんでしたが、竹柴さんの歌舞伎にかける思いに触れ、歌舞伎を通して日本の文化とはどういうものかという事がまさに、腑に落ちました。
歌舞伎文化こそ日本人の身土不二・地域主権の大衆文化なのです。
竹柴さんの話で私が当時政治家として興味引かれたのは、1945年わが国は第2次世界大戦に敗北、GHQの占領政策下、歌舞伎は上演禁止になります。封建制の価値観や、仇討を礼賛する歌舞伎こそが日本の大衆のメンタリティを形成しているものだとGHQは判断したのでした。マッカーサーの副官であったパワーズが歌舞伎に理解を示してくれたものの3年間の禁止期間にわが国の歌舞伎は壊滅的打撃を受けました。(日米両国でベストセラーになったジョンダワー著のドキュメント「敗北を抱いて」参照)
戦後わが国ではアメリカ文化である映画やミュージカルが大衆娯楽の世界を開きます。日本の様式美は古臭いと、日本人の価値観から捨て去られていきました。
戦後の日本は文化面においても、アメリカ主導であったという何よりの証に思えます。
一方、今、歌舞伎は復活の兆しを表しつつあります。二十一世紀に入ってユネスコの無形文化遺産にも認証され、世界に歌舞伎文化が評価されつつあることは誠に喜ばしい限りです。
しかしながら歌舞伎の原点は身土不二、地域から内発的に沸き起こる土着の芸能であったという事を忘れてはなりません。ユネスコの無形文化遺産に評価されたのはコミュニティとの一体関係が伝統的無形文化として位置付けられたからなのです。
大資本が作る洗練されたエンターテイメントではありません。また、同族の名門で固めた権威の象徴ではなく、かぶいた多少ヤンキーな若者たちのエネルギーが生み出した時代を開くアバンギャルドでもありました。
この度、グランド歌舞伎の発足に当たり微力ながら応援したいと思ったのは、日本人として歌舞伎文化の原点を見詰めることにより、今の日本を考えたいと思ったからにほかなりません。
「源泉へのたえざる帰還」という哲学者田辺元(はじめ)の言葉を引用し、グランド歌舞伎応援の挨拶といたします。

世襲制について考える

パーマリンク 2014/11/10 22:28:04 著者: y-ishida2 メール

明治村の呉服(くれは)座で「グランド歌舞伎」が始まる。グランド歌舞伎とは歌舞伎をもっと身近なものにする、安くて、誰でも演じることができるようにしようという演劇運動である。
「日本伝統芸能振興会」の竹柴源一さんが言い出し、共鳴して私が実行委員長を引き受けた。
現在の歌舞伎界は世襲制になっている。名門歌舞伎の家柄に縁がないと歌舞伎界で名を成すことはできない。どんなに歌舞伎が好きでも、国立の歌舞伎専門学校で学んでも、主役を演ずることはできないシステム、世襲制になってしまっている。歌舞伎の起源は士農工商以下の階層から興り、誰もが参加できる大衆が生んだ演劇文化である。
で、本来の歌舞伎に戻そうと、地芝居出身の俳優松井誠さんが、いわば「歌舞伎ルネッサンス」を考えたのがグランド歌舞伎だ。
最初、この歌舞伎界の現状を聞いた時、現在の歌舞伎世界は世襲制の虚構をつくり外の血を排除している差別の世界ではないかと私の内なる社会正義にむらむらと火が付いた。階層社会の武家文化だった能と、大衆演劇であった歌舞伎をいっしょくたにしてしまい、歌舞伎を権力の象徴にした。繰り返すが、歌舞伎は本来列島津々浦々に点在した地芝居がベースの大衆の娯楽だったのだ。
政治の世界に目を転じる。小渕優子経産大臣の政治資金問題で明るみになったが、あの金銭感覚から世襲議員の弊害が見えてくる。今や衆院議員の4人に1人が世襲議員、政治世界も世襲制と言ってもいいのではないか。 若い頃、私が仕えた衆院議員の後継はまさに世襲だったから政治家の世襲の実態はよく知るが、危ういと感じる人が多い。福沢諭吉は幕末の頃アメリカを視察し、武家社会の不平等な世襲制を徹底的に批判、江戸幕府の転換を迫った。
世襲で親の跡を継ぐ者は所詮親の七光であり脛齧りだから自分の職業を自分で切り開くプロセスが無く、最初苦労をする立ち上がりの核心部分が抜け落ちている故にどうしても脇が甘くなる。特に自民党の政治家は、利権や体制側と結びついているから、支援者もどんぶり勘定の強固な利権集団になっている。
歌舞伎世界でも、政治世界でも、これは個人の資質や責任を超えたところに到達してしまっているという気がする。
アメリカでは、大統領や自治体の長は2期8年以上は出来ない制度になっている。長期に渡って権力を独占する者は必ず腐敗するという人間の性を見透かした賢明な知恵なのだと思う。
時々、何処の馬の骨だかわからないような人物が名を成していく世の中こそ、風通しのいい民主主義社会と言えるのではないか。
我が国で世襲制は天皇だけでよい。

ESDとタオイズム

パーマリンク 2014/10/15 10:41:48 著者: y-ishida2 メール

間もなく名古屋でESDの国際会議が開催される。私は現在中部大学で客員教授をしているが、このESDの事務局をしている中部大学の高等学術研究所に籍を置いているのでことさらこの国際会議には関心を持つ。
ESDについて知る人は少ない。
資本主義と民主主義が何となく壁に突き当たった感のある現在、それに代わる新しい時代の思想だと解説する学者もいる、ユネスコの提唱する21世紀の思想である
ESD、すなわち「Education for Susutinable Deveropment」を私は「持続可能な社会維持のための教育」と訳したい。ユネスコの掲げる地球環境のテーマを表した言葉になる。
この「サステナブル」、持続可能という思想は時代の先端だと思っていたがよくよく考えてみたら、2千年以上前から既に東洋にはあったことに気が付いた。
「タオイズム」、老荘の思想だ。
私は30歳過ぎてから孔子の論語に出会って座右の書として愛読、政治家という行動者として拳拳服膺してきた。しかし、司馬遷の史記によると、老子は孔子に会った時、孔子は他人と競い過ぎ、批判し過ぎと評している。ナルホドと思わないわけでもなく、老荘の思想「タオイズム」は論語とは異質のもの、対比すべきものとして関心を持っていた。孔子の思想の中心は「仁」という徳の実践にあり、タオイズムの根本は「道」であり、自然主義だと言われている。孔孟思想はプリンシプル(行動原理)であり、老荘思想はフィロソフィ(哲学)であるとも考えられる。

○足るを知れば辱め(はずかし)られず 止まることを知れば危うからず もって長久なるべし
○人みな有用の用を知りて 無用の用を知るなきなり
○足ることを知る者は富めり
○功成り名を遂げて退くは天の道なり
○つま立つ(つま先で立つ)者は立たず
○柔よく剛を制す
○小国寡(か)民(みん)(小さな国少しの人口が幸せだ)
○和光同塵(わこうどうじん)(光らないようチリの如くに)
○無為自然(飾るな自然体自然体)
○大器晩成(大成するのは歳取ってからだ)

なんと自然体で、サステナブルな哲学観ではないか!
孔子の一生は何処までも政治とのかかわり合いを求める人生であり、老子の人生は政治から一歩退いたところにあった。まさに孔子の人生は刻苦勉励、努力・勤勉・誠実を背負い、かたや老子はゆったりと、和光同塵、無為自然のスローライフに生きた。
タオイズムこそ21世紀のサステナブルな哲学だけではなく、今の私の年齢にふさわしい生き方であると思うゆえんだ。
そんな視点からESDの国際会議を観る。

内閣改造

パーマリンク 2014/09/09 16:03:14 著者: y-ishida2 メール

 安倍政権が内閣改造を行った。
 メディアは例によって2日間ほど大騒ぎだ。正論を吐く人もないことはなかったが、論調は概ね人事に関する世間話の次元を出るものではなかった。
 私は、公的世界で長年仕事をし、絶えずポストは同じ人物に少なくとも4年間は固定すべしと言い続けてきた。自治体でも議会の議長をはじめ、各委員長は1年交代。役所の人事もしょっちゅう異動する。議員も職員も本物の専門家が育たない。
 職人の世界で、一生一つの物を作るだけで終わる人生、範囲を限定し、狭いが深い生き方には一種のあこがれに近い情感を抱く。

 大臣だって1年や2年で変わっては仕事が深まるわけがない。有能な人物でも、1年や2年では自分のカラーを出すことはほとんど不可能に思う。全ての仕事は個性と結びついてこそ意味があると考える。従って、どうしても官僚機構の主導になり、選挙を経た主権者の代表こそが公共政策をリードするという民主主義が空洞化される。
そんなことは分かっているのに止められないのは何故か。私の経験を振り返り率直に吐露してみる。

 そもそも政治家になるような人物はポストや肩書に対する執着心の強いタイプである。丁度経済人として成功する人物が金銭欲、物欲が強いのと同じことだ。そういったモチベーションがなければ、立候補もしないし、会社経営もできない。
「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちたらただの人」。たしかに政治家はポストで仕事をするし、他人に評価される。だから、国会議員になったら大臣になりたいし、あれくらいの仕事は自分にだってできると思っている。

 一方、総理大臣の心理を推測する。私も一自治体の長になった時感じたが、人事が一番面白い。この面白いという表現は品がないが、この際お許しいただきたい。自分の権限で、あいつを喜ばせてやろうとか、あの人物の能力を発揮させてやろうとか、人事で相手の気持ちを買うことは自由自在だ。
だから総理大臣になったらこの権力の威力、人事の快感には勝てないのではないか。一方、国会議員にしてみたら、人事が固定化すれば不満がたまる。アヤツが何でこのオレより脚光を浴びるのだ、という不満が蓄積してくる。

 短期間の内閣改造はそのためのガス抜きにすぎない。中央政府がそうだから、地方政府も右へ倣えで、短期間の人事異動を繰り返す。この政治風土はよくないと大方の人は気がついているのだが、もうこれだけ染みついた習慣は何とも致し方なしだ。

 視点は異なるが、各種審議会やあのNHKの人事を見ても、安倍さんは、蜜の味がする権力の罠にはまっている。
 一方勝ちのリアクションは遠からずやってくるだろう。

深川八幡祭

パーマリンク 2014/08/19 15:18:08 著者: y-ishida2 メール

 東京都江東区富岡にある富岡八幡宮8月15日の例祭を「深川八幡祭」と呼ぶ。
東京に住んでいない者には地名の由来から学習しなければならない。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ「本所深川散歩」に、「とりあえず江戸っ子の産地じゃないかと思った」とある。徳川家康が江戸城を築城、世界のTOKYOの始まりだが、現在の富岡八幡の地は隅田川河口永代(えいたい)中州の開拓地であり、その開拓者が関西摂津の深川八郎衛門であったという。

火事と喧嘩は江戸の花。江戸はしょっちゅう火事があり、材木問屋は儲かった。あの紀伊国屋文左衛門もその一人だ。その根拠地が深川であり、その地の産土神として富岡八幡宮は1627年祀(まつ)られ、深川の八幡さまと江戸の人々から親しまれた。深川界隈は、材木を扱うゆえに鳶や火消などの宵越しの金は持たねえ職人気質が参集、江戸城から見て辰巳の方角でもあり、岡場所もでき「深川芸者」という粋で気風(きっぷ)のいい女性の代名詞も生まれたという。深川はそういう江戸っ子と呼ばれる人たちの故郷でもあり、富岡八幡は江戸っ子の護り神でもある。蛇足ながら、赤穂浪士は吉良邸討入りの最後の打ち合わせを富岡八幡の前の茶店でしたというし、相撲の興行も、この神社の勧請相撲から始まったという、江戸の文化と歴史が直結した神社だ。

白状すると、私の東京観は前川清の唄う「東京砂漠」だった。日本中の人と富を収奪し尽くし、混乱と喧騒と強欲と不人情と乾燥の荒野だった。東京は紛れもなく日本人の際限ない強欲が作ったバベルの塔であった。そのTOKYOに、神も存在したと思ったのは、深川の八幡さまと祭を知ったからだ。
デジャビュというフランス語は、既視体験と訳す。初めての体験であるのにもかかわらず、何となくなつかしさを覚えることだ。神社の放つ美しさと祭の貴さがこれだ。

今年(2014)は3年に1度の本祭りで神が乗った神輿を乗せた車が氏子町内隈なく60キロを1日かけて巡行する、鳳輦(ほうれん)渡御(とぎょ)と呼ぶ。翌日の神輿連合渡御は鳳輦渡御のお礼という意味を持つ。前者が神の立場から、後者が氏子の立場の祭表現か。各町内から53基の神輿が勢ぞろいし、8キロ余を1日中担いで回る。神輿1基の関係者を100人とみると5300人余の担ぎ手が路上を埋める。水かけ祭とも呼ぶが、全員法被(はっぴ)姿にねじり鉢巻き、白足袋の大集団が、ホースから浴びせる大量の水でびしょ濡れになり、ワッショイ ワッショイの声と共に神輿を担ぐことにより神憑(かみがか)って醸す世界は壮観なものだ。

最後に富岡八幡宮の女性宮司富岡長子さんの挨拶を紹介したい。「子供は地域の、国の宝です。幸い深川ではお年寄りを敬い、子供たちを街ぐるみで育てようとする、本来の日本人が持ち続けてきた道徳秩序が今もなお根強く息づいています。」

鳥出神社 鯨船行事

パーマリンク 2014/08/18 11:34:18 著者: y-ishida2 メール

日本民族の最大の宗教行事は正月とお盆である。そのお盆の8月15・16日、鳥出神社の鯨船行事は行われる。
三重県は明治の廃藩置県前までは伊賀と伊勢と志摩の3国に分かれていた。伊勢は更に北勢と南勢に分かれる。面白いことに、南勢地区の鯨船行事は実際の海で行うが、北勢は陸上で御座船を作って鯨と船の壮絶な戦いの演技を行う。
古墳から鯨の骨が出土するらしいから、鯨と日本人との付き合いは古い。だから捕鯨にまつわる祭は全国にあるが、三重県が一番多いそうだ。そして面白いのは、四日市を中心とするこの北勢地区では捕鯨の形跡がないのに鯨船行事があるという事である。5か所の神社に伝承され、8基の山車が登場するが、富田の鳥出神社に4基固まっているので、ここだけ国指定の文化財になり、この度、ユネスコの無形文化遺産候補にもなった。
南勢地方は現実の捕鯨を経験したので、鯨の解体を見る人にとっての祭は鯨の霊を慰める色彩が強い。が、この鳥出神社はいわばメタファー(隠喩)としての捕鯨なので、捕鯨の演技を展開する。ハタシと呼ばれ中心人物が大きく身体を使い大海原に鯨を追っかける、鯨を見つけてから鯨と格闘する船が大きくローリングする、振れの中にオドリコやロコギが倒れんばかりに揺れまわる、鯨に銛を打つ、鯨と船との格闘が始まる。ハタシもオドリもロコギも子供が演ずる。その体の動きは私には人形浄瑠璃のように見えた。鯨船はローリングしながら、太鼓を打ち鳴らし、大声で歌と踊りで囃し立てながら、あちらこちらを突きまくる。鯨突きという神事だ。
漁民による漁労儀礼というよりは、余興として鯨突きの真似が富貴を呼ぶ目出度さや災厄を払う儀礼としての意味を込めながら、次第に演劇的に組み立てられたところがこの祭の真骨頂と観た。
我々は全国どこの祭を観に行っても、せいぜい半日ぐらいしかそこには滞在しないだろう。祭の表面を観て、所詮群盲象を撫でるような評論しか出来ない。
私は、何処の祭に行っても多種類の資料は参照にする。祭の全貌を知るためにビデオを観ることもいい。鯨船行事も四日市市教育委員会から250頁にわたる調査報告書をいただき一読した。しかし、いくら資料が豊富でも、祭の神髄は祈りにある。神社の氏子たちが、観光客など関係なく行う神事にこそその祭が持続してきた力が潜んでいるのではないか。加えて大切なのは、祭に備えて歌や踊りの練習や山車に付属する備品の維持補修などを準備する時間だ。祭関係者のこの準備の時間と空間こそが共同体としての意識を持続させる。鯨船行事も、鎮火祭の神事を行うと聞いた。水面下の神事はなかなか外部の者にはわからないし、行政の資料に載りにくいが、本当は祭の岩盤を成す行事ではある。

揖斐まつり

パーマリンク 2014/08/18 11:31:11 著者: y-ishida2 メール

揖斐まつりは、岐阜県揖斐川町、三輪地区の氏神三輪神社の祭である。自治体名「揖斐川町」は木曽三川の一つ、揖斐川から来たと思われる。地方政治に長年かかわってきた私の観察だが、我々は有形無形無意識の内に故郷の川に大きく影響される。母なる川という言葉は正しく真理だ。一昔前の日本人の感覚では、国とはcountryとかnationではなくlandであり、都会が形成される前の山村社会では山川草木が住民のメンタリティを作ったと思う。揖斐川町は何となく私を惹きつける。
「揖斐川町は太古、大神(みわ)の里と称し、伊比(いび)の里とともに出雲族、神人(みわ)氏の蟠踞地で山麓の一寒村でありました。」から町史は書き出す。
三輪神社の例大祭揖斐まつりは5月3・4・5日に行われ、歴史の由緒を背負い神事を重んずる祭だ。            5月1日 三輪神社に幟(のぼり)が立つ     2日 町内からの神輿(みこし)のご神体受付    3日 小試(しん)楽(がく) 公民館で子ども歌舞伎上演 4日 試楽 神社前にて子供歌舞伎上演                  ヤマ(車偏に山)引き揃え        5日 本楽(ほんがく) 稚児役者お練り 神輿(みこし)お旅(たび)            子供歌舞伎 ヤマ引き回し
*お旅とは神が降臨した神輿を担いで氏子の住むエリアを巡行しお祓(はら)いすること   
曳山は5町内から繰り出す。ここではヤマと呼び国語辞典にはない車偏に山の字を書く。 若い衆が神輿の巡幸の時大声で民謡のような「おばば」を唄いながら担いでゆく。揖斐川町が発祥のこの唄を私も子供の頃故郷の川祭りで唄ったことがある。「オババドッコイキャルナーア ナーナナ 嫁ノ在所エナー 三升樽サーゲテ ソーラバエ」という何とも長閑(のどか)なメロディは、意味は解らなかったが少年の時の祭の記憶と共に、私の体に染みついている。祭の遺伝子は確実に子ども達に引き継がれる。
衣斐祭の楽しかったのは子供歌舞伎だ。ヤマを曳き出す5町内で毎年順番を決めて歌舞伎を担当する。町内の公民館で上演したり、ヤマの上で上演したり、本楽の日は神社の前で演ずる。
現在のように家柄の世襲制のみではなく、瓦乞食といわれる下層の大衆の中から生まれた文化であった地芝居歌舞伎も、世界遺産であることを知る人は少ない。実は戦前まで、全国に歌舞伎小屋は1500余あったが、敗戦によりGHGは歌舞伎の上演を3年間禁じた。歌舞伎はそのほとんどが復讐劇であり、日本人の心情の根っこを表現ずる故に、アメリカは恐れたと言われる。
それによって大衆演劇としての歌舞伎は壊滅し今は50そこそこの小屋が残るのみとなったが、岐阜県が最多だ。歌舞伎には我が国の芸能と様式のすべてが入ってきているのだが、どうも今の日本人は歌舞伎より西洋のオペラのほうが詳しくなってしまった。
祭を見ることは「日本人」を思い出させる。

桑名 石取祭

パーマリンク 2014/08/18 11:28:58 著者: y-ishida2 メール

「石」を神と捉えるのがこの祭りの名の由来である。桑名南部を流れる町屋川の清らかな石を取って氏神である春日神社に奉納する祭。春日神社とは奈良春日社を本社とする藤原一族の氏神であるが、春日神社は桑名の産(うぶ)土(すな)桑名神社に勧請(かんじょう)したものである。ここのところが日本の神社の面白いところで、全国どこの神社も、その土地の産土神社に、有名な神を簡単にしかも幾柱も勧請してくる。
祭を見ると、つくづく多神教の日本人の信仰心を見てしまう。別の言い方をすると日本人は何でもかんでも無原則に受け入れる「ごった煮」のような文化を持つ民族ではないかという気がする。
桑名という地について考える。とても特徴のある、力のあるスポットだ。地勢的には日本一の大河川、木曽三川の合流地点であり、伊勢湾の入り口に当たる。列島を東西に分ける重要な港町として古来より栄えた。日本史には日本書紀に豪族桑名首(くわなおびと)として登場する。江戸期には東海道五十三次42番目の宿として栄え、幕末期は佐幕派の中核となる。因みに、明治政府は佐幕派となった藩は県都の名前を県名にさせなかったから、日本中の県都名を聞くと、勤王派か佐幕派か一目瞭然。従って、三重県の県都は四日市市である。
祭はその土地の過去を背負う。いかにも、この石取祭には桑名の土地と歴史の重層性を読み取ることができて興味深かい。
37台の曳山(ひきやま)はこの祭りでは祭車(さいしゃ)と呼ぶ。マスコミ報道などで曳山のことを十派一からげに「ダシ」と呼ぶ。この山車(だし)という呼称は、明治政府が言葉の全国統一を目指したもので、一種の言葉狩りではないかと思っているが、祭の曳山は、その土地独特の呼び方を尊重すべきであるというのが私の持論。
話はまた大きく逸れるが、「ヤマ」について述べる。我々の先祖は、死ぬと遺骸を故郷の山に葬った。山とは常に先祖の霊が眠る場所であった。先祖の霊は木に降神する。だから我々は祭の時、山のような高い構造物を作り、木を立て、故郷のエリアを曳き回し、先祖と邂逅する。その構造物を一般的に「ヤマ」と呼ぶ所以である。
桑名の石取祭が圧倒的だったのは、祭囃に感じた。「日本一やかましい」というキャチフレーズ通り、祭車(さいしゃ)のそばではなるほど会話が困難である。基本は簡単。大きな長胴太鼓と大きな鉦を5拍子と7拍子にリズミカルに打ち鳴らす。金属音の鉦と自然音の太鼓、更に風のそよぎのような篠笛のハーモニーが絶妙で、私にはジャズのセッションのように聞こえた。祭関係者から、夜中まで繰り出すこの音に「やかましい!」と苦情を言う新住民がままいるという最近の世相も聞いたが、子どもと女性がお囃子を担当していたのもまことにいい光景の祭であった。

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