日経新聞に河野洋平衆議院議長の半生回顧録記事。
朋友:故・藤波孝生氏は 何でも話せる一番の親友だった、と。
まだ駆け出し代議士当時に、政治家として「これからどうする」という話しになって、藤波氏は「オレはナンバー2志望だ」と言い切った。
「ナンバー1は 面白くない。自分がなりたいと思うと、なにもできなくなる。」
「戦略を練り、戦術を考えるのはナンバー2だから、それに興味がある。」
中曽根内閣で、前例も無い若さで「国務大臣:内閣官房長官」を務める。
当時、「若手宰相候補の筆頭と目された」という。
かって、少子化時代に備える「大学の改組改編」の大学経営戦略戦術に深く携わったころ、 文教族と自称自認する筋や、教育こそ民族・国家の戦略理念だと信奉・主張する方々から、 「伊勢の藤波さんが健在なら、真っ先に教えを乞うて駆けつけるのに・・」との声を、何人かから聞いた。
ナンバー2を善しとした戦国の知将:藤堂高虎も晩年を伊勢の国で過ごす。
「戦略を練り、戦術を考えるナンバー2」は 伊勢国に縁深い。
【写真】20090813日本経済新聞夕刊「河野洋平前衆議院議長が語る・・・心に残る政治家」より。