(名馬・磨墨の塚)(名馬磨墨と梶原景時公:ねぶた)
「磨墨塚と史跡公園」 羽黒の史跡・文化財 -2-
磨墨を 有名にしたのは、宇治川の合戦(1184年 木曾義仲との戦い)による、梶原景季(景時の嫡男)と、佐々木高綱との先陣争いです。
頼朝の死後、鎌倉幕府の内紛によって、梶原景時ら一族郎党が非業の最期を遂げ、景高(景時の次男)の子・豊丸(後の景親)らは、乳母・お隅の方と、七家来、そして名馬「磨墨」を伴なって、この地に落ちのびてきました。
その後、お隅の方が亡くなり、「磨墨」も時を同じくして 死に、ともにこの地に葬られたと伝えられています。
「名馬・磨墨塚史跡公園」はこうした伝承から、磨墨を模した木馬を設置するなど、磨墨塚周辺を公園として整備されたものです。
(出典:「ぶらっと羽黒 ウオークマップ 」羽黒地区等コミュニテイ推進協議会)