平成26年2月22日(土)野呂家御一統様、町内ご一同、
野呂塚保存会会員らが集まり、野呂塚慰霊祭が行われた。
今から100年余り前、明治後期から大正年間にかけて、
羽黒村鳳町在住で、長田稔吉先生という偉い教育者がおられた。
羽黒小学校の校長を長らく務められていた長田先生です。
校務のほか地元地域の在りようにも気を配られ、
在宅のときには近所の子どもたちの勉強の面倒を看られてた、と。
野呂塚の近く、羽黒小学校の校庭に 長田先生の胸像があり、
通学するわたしたちを朝に夕に見守っていただきました。
胸像の脇に置かれた銘碑には「知新」とあります。
孔子の教え:論語の一節にある「温故知新」の知新です。
『 故きを温ねて新しきを知る。以って師と為るべし 』
・・昔のことを学び、その中から今に、明日に生きる知恵を見つけられれば、人を教える先生になることができる。
長田先生の薫陶を受けた羽黒青年会の先輩たちは、
大正7年(1918年)に野呂助左衛門之碑を建て、
野呂塚一帯を整備されました。
すぐそこの八幡神社には八幡林の戦いの碑があり、
この地には野呂塚があります。
今 私たちは100年前の先輩たちに習い、
これからを担う子どもたちに、100年先の子どもたちに、
羽黒の歴史を、ふるさとの成り立ちを語り継ぎたい。
水の恵み、おいしい米をいただけるこのふるさと。
大地の恵みは未来の子どもたちからの預かりものです。
美しい田んぼ、畑、里山を、たのしい暮らしのふるさとを、
みんなで援け合って、未来の子どもにつなげていきたい。
それが温故知新の長田稔吉校長先生の教えだと噛み締めております。
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今年も 八幡林の戦い古戦場地区に在る、
野呂助左衛門之碑 慰霊祭を営む時節となりました。
大正7年(1918年)3月、羽黒青年会の皆さんが、
古戦場の一角を整備し、
野呂助左衛門之碑を建立された。
今年は2月22日(土曜日)10時からです。
人口減少に歯止めがかからない・・
世をあげて「少子高齢化」時代だという。
生産労働者人口15歳~65歳が減ってきて、
所得税の納税負担者減少で財政が行き詰るという。
その通りである。
何と比べて少子化か? 高齢化か?
1億2千万人余の総人口のなかの割合の増減だともいう。
65歳以上の人口が増えていくことだという。
15歳までの人口が減っていくことだという。
いろいろと政策が議論される・・
だが、腑に落ちない。
生まれてくる子どもが少ない。
出産する20~40歳代の女性の数が少ない。
二人、三人、四人とたくさん子どもを産もうとしなくなっている。
結婚しようとしない・・
少子高齢化時代ではなく、
20~40歳代女性の出産機運が無いことが真因なのに。
多くの政策が目先の対症療法でしかない、と映るのだが。
4年先の総選挙対策的なものが国策になるこの国のカタチ・・
待機乳幼児対策へ右往左往する自治体の課題認識・・
3~4年で成果が数字で表せる施策ばかりが目白押し。
人口問題は20~30年のスパンでしか測れないのに。
部分最適ねらいばかりで、全体最適の目標・戦略が少ない。
30~50年先を、100年先をにらんだ長期戦略がない。
このまちで暮らしたい、ここで子どもを産み育てたい・・
ここがふるさとで良かったと言えるまちづくりを望みたい。
少子高齢化対策より 出産女性の萎縮・減退対策でまちづくりを!
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