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野呂塚 慰霊祭               (1364) 

野呂塚 慰霊祭               (1364) 

パーマリンク 2014/02/22 01:35:50 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 平成26年2月22日(土)野呂家御一統様、町内ご一同、
 野呂塚保存会会員らが集まり、野呂塚慰霊祭が行われた。

 今から100年余り前、明治後期から大正年間にかけて、
 羽黒村鳳町在住で、長田稔吉先生という偉い教育者がおられた。

 羽黒小学校の校長を長らく務められていた長田先生です。
 校務のほか地元地域の在りようにも気を配られ、
 在宅のときには近所の子どもたちの勉強の面倒を看られてた、と。

 野呂塚の近く、羽黒小学校の校庭に 長田先生の胸像があり、
 通学するわたしたちを朝に夕に見守っていただきました。

 胸像の脇に置かれた銘碑には「知新」とあります。
 孔子の教え:論語の一節にある「温故知新」の知新です。

 『 故きを温ねて新しきを知る。以って師と為るべし 』

 ・・昔のことを学び、その中から今に、明日に生きる知恵を見つけられれば、人を教える先生になることができる。


 長田先生の薫陶を受けた羽黒青年会の先輩たちは、
 大正7年(1918年)に野呂助左衛門之碑を建て、
 野呂塚一帯を整備されました。

 すぐそこの八幡神社には八幡林の戦いの碑があり、
 この地には野呂塚があります。

 今 私たちは100年前の先輩たちに習い、
 これからを担う子どもたちに、100年先の子どもたちに、
 羽黒の歴史を、ふるさとの成り立ちを語り継ぎたい。


 水の恵み、おいしい米をいただけるこのふるさと。
 大地の恵みは未来の子どもたちからの預かりものです。


 美しい田んぼ、畑、里山を、たのしい暮らしのふるさとを、
 みんなで援け合って、未来の子どもにつなげていきたい。

 それが温故知新の長田稔吉校長先生の教えだと噛み締めております。

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