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五条川堤防路。
彼岸花の季節 到来。
あ~かい 花なら 曼珠~沙華・・
赤い花が天から降ってくる、から 天上の華、とも。
田んぼや畑(陸稲)の畦道に ぐるりと彼岸花に囲まれていた。
とくに、草むらや雑木林の際の田んぼは、その堺に草むらを造って、曼珠沙華の球根を一列に植えつけた。
球根や茎のちょっと強い香りが、野ねずみの嫌う香りかな。
稲が出穂するころ、畦道の草刈りをする。
残暑が地肌を照り付けて、地温が上がる。
曼珠沙華の球根が目覚める。
やがて2~3週間後に 花芽がすくすくと伸びてくる。
あのあ~かい花が咲く。
花が終わると 細長い葉っぱが出てきて、栄養を貯える。
独特の香りを含んだ、曼珠沙華の葉っぱの行列。
田んぼの稲がたわわに実り、収穫のころ。
野ネズミが食べに来ないように、香りの球根が機能する。
「彼岸花は、大事なお米(稲穂)の守護神の花」と子どものころに聞かされた・・。
旧暦・お彼岸の頃は、まさに稲刈り・収穫の真っ盛りの頃。
いまでは、台風シーズン(二百十日)前に出穂して授粉するような品種の稲作りが一般的となった。
曼珠沙華の開花期が、お彼岸の頃ゆえにこそ「彼岸花」。
台風一過、緑の芝生の園庭で幼な児たちがお遊戯中。
犬山市立羽黒こども未来園(旧保育園)で。
3か月前に地域住民も加わって芝生の苗を植え付けた。
6月25日の日曜日、
羽黒地区コミュニテイ推進協議会の肝いりで。
あれから3カ月、
毎日の散水の効果は抜群でぐいぐいと根を拡げた。
保育士さんたちもこまめに芝刈りをやっておられた・・。
緑の芝生の運動場で、裸足で走り回れるってすごいこと。
ドイツの運動場みたいで大感激!
「学校の運動場、どんぐり広場は 芝生張り」を常識にしたい!!
これが”おれたちの子育て””おれたちの教育・しつけだ”
雑草を炎天下でもがんばって取り除く。
裸足の足を傷つける小石やゴミは取り除く。
鳥や野良猫の落し物は、自分たちの手で取り 水で流す・・。
自分やみんなのグラウンドを手入れする作業こそ、
情操教育の第一歩、と思う。
元気に育て! おれたちの未来の子たちよ!!
台風12号につづく、台風15号接近。
秋雨前線を刺激して時間当たり数十ミリの驟雨が断続する。
朝早く、市役所農地治水課から緊急電話連絡。
現場へ直行し、配水堰のゲートを開放して水位を下げてくれ!と。
45年ほど前、伊勢湾台風のあと県土地開発公社が造成し分譲した住宅団地(700戸規模)。
美味しいおコメの採れる水田地帯のど真ん中に造られた。
団地内には農業用水路が縦横に確保されて周囲の水田に灌水する。
団地の住民はの業従事者は無い。
日ごろはヒトと犬の、水辺の散歩道。
そして建物・駐車場の雨水の排水路とされている。
現場は団地のはずれ。
その下流に当たる水田地帯へ配水する用水路のゲート。
大雨もさることながら、トラブルの元は、生活ゴミがゲートを目詰まりさせていたこと。
レジ袋に詰めたゴミや、剪定枝、ダンボール切れ端など。
「市がきめ細かい防水管理をしてないから、用水路が氾濫しそうだ。すぐ何とかしろ!」との苦情で ことは始まった・・。
農業者・用水管理者から見ると、いささか複雑な思い。
いま 明治村が おもしろい。
昭和43年3月開村した博物館明治村。
ながらく文化財・文化的価値の「建物」保存の流れだった。
テーマパークが青息吐息の時代に苦戦する中で、
明治村も来場客数の激減と、メセナとしてきた名古屋鉄道の経営苦境で、苦しい運営をしてきた。
この5年来、”大転換”した。
文化財保存から、文化財と触れる、遊ぶ、愉しむへ。
開村当初の観光バス団体客様向け食堂を一か所持っていた。
食べ歩きお断り。 文化財の中での飲食お断りの時代。
いま、”大転換”した。
食べ歩きもどうぞへ。物販と飲食の屋台を大幅に増やした。
建物も70近くになった今、村内に10か所以上に飲食店コーナーを設けた。
牛鍋屋、洋食屋、ホットドッグ屋、カレーパン屋、茶房、コロッケ屋、カフェ軽食屋、うどん屋、ホテル喫茶室、そしてショットバー。
そう、アルコールお断りから、アルコール販売、屋台食べもの屋を大幅にふやした。
建物すべてを訪ね歩けば、4時間半は優にかかるいま、
滞在型のテーマパークへ方向転換した。
これが、当たっている。
明治村は、喫茶・軽食に限らず、食事も取りながらゆっくり時を過ごすテーマパークへ変身に成功してきた。
いま 明治村が おもしろい。
このごろ 博物館明治村へ よく足を運ぶ。
ここ5年前くらいと比べても、
いつ行っても 何かをやっている。
いつ行っても 何かしら新しい建物が増え、新しい展示・催事をやっている。
この夏の驚きは、着物・ゆかた姿の来場者女性が多かった。
「ゆかた姿の女性は 入場無料です」キャンペーンの勝利。
このアイデア・戦術はたいへん好評だった。
名鉄犬山駅前の明治村直行バス停に限らず、電車の中でもよく見かけたそうな。
クルマで御来場のお客さまも大抵は男性がエスコートしていたり。
ゆかた姿の女性がわんさかと居れば、男性客も増える。
珍しくなってしまった、つい100年前の建物をみる、から、
建物を外から眺めるだけでなく、中を全面公開し、家具調度品にも触る、座るなど、建物の中での明治を体感してもらう方針へ転換した。
建物の中の空間で、明治の暮らし、遊び、歴史、風俗などを常設展示する。
”学芸員”として、名鉄グループ社員をキャリアローテーションの一環として転勤・配置し、解説員・案内人・顧客サービス研修として経験させる。
市内近郷に限らず、建物ガイド・設備機器解説ガイドのボランテイアを数十人以上を公募確保し、来館者をもてなす。
なにか いつも愉しい場所になっている。