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興福寺 貫主の多川俊映さんの寄稿文・・:
昨今「自然と人間」あるいは「自然保護とはいかにあるべきか」など、社会の重要なテーマとしてくりかえし論じられている・・。
・・自然を人間の都合によってコントロールしようとする思惑の範囲を出ない。
自然と人間と、一体どっちが上なんだろうか。
阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災・・。
「オレ、なにも悪いことしてへんねやけど」・・。
ひとは、「自然の中の人間」である、こと。
その自然の中の私たち人間がどうあるべきか・・、
それをこそ論じたいではないか。
そう、多川さんが示すように、
時として牙をむき出し強烈に襲いかかる自然に、人間はそれが収まるまで身を縮めて待つしかない。
そういう「微細な者同士が 共に生きる」、
それが共生(ともいき)の思想だ、と。
”自然との共生”・・
これを”きょうせい”とは、なんと傲慢なことか。
ひとは「どこまでも、人間の都合など いささかも斟酌しない”自然”の中に暮らしている。イヤ、暮らさせてもらっている。
”自然の中に””共生(トモイキ)”させてもらっている、のだ。
<出典: 2011.12.17.中日新聞「人生のページ」>
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