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梅雨の晴れ間に 夏野菜が元気だ。
低温・多雨や、干天続きで ヨタヨタしてたが回復模様。
夜は15℃くらいまで下がり、昼間は日照が長くて、28℃までくらいのお天気がつづくと、ぐんぐん成長する。
育てやすいキュウリだが、結構 手間ひまがかかる。
花が咲くまでに水をやりすぎると 根腐れする。
実が生り初めたら、水が大好きな野菜。
キュウリネットの背丈ぐらいまで主茎が伸びたら摘心。
脇芽がどんどん出てくる。 垂れ下がらないように上に誘引する。
根元近くの脇芽は摘出して 風通しをよくする。
追肥が切れれば成長が止まり、水やりが少ないとキュウリが曲がってくる。
暑すぎなければ食べきれないほど 毎日大きくなる。
収穫期間がせいぜい3週間ぐらいが最盛期。
もうちょっと長く 食べ続けられるとうれしいのだが・・。
ゴーヤ。
沖縄の夏野菜。 ニガウリとも。
野菜畑でゴーヤを作るようになって、かれこれ10年余。
種蒔き~発芽に3週間ほどかかるので、苗を求める。
ネットの張り方はだいぶ手馴れてきた。
家族が収穫に難儀するほどには高くは 張らない。
芯留めも、10~15節あたりで早目に摘芯する。
小枝に雌花が多く付くような気がするが・・。
4月から5月中旬まで、いつ種蒔きしても、苗を植えても、
初採りは、7月7日 七夕のころとなる。
水遣りに気を配れば、10月10日当地の秋祭りのころまで、
毎日収穫できる。
夏のスタミナ補給に 絶好の夏野菜。
【写真】ことしの初生り。撮影6月21日。収穫はまだ2週間先か・・。
参議院議員通常選挙が、6月24日 告示された。
投票日は 7月11日(日)。
スーパーのエントランスには、投票を呼びかけるポスター。
”この一票 あなたの意志を 国政へ”
公報板には 候補者の選挙ポスターが並ぶ。
選挙区は定数3に 七人の立候補者で激戦区。
太平洋戦争の敗色濃くなり、いよいよ本土上陸決戦近づく。
1945年6月23日。防御の楯を放棄され、壮烈な沖縄戦に降伏した日。 1945年8月15日 ポツダム宣言受諾、無条件降伏。
占領軍(米軍)は嘉手納基地、普天間基地を中核に、東アジアの制空権、有事即応態勢の確保をすすめた。
1949年中華人民共和国の成立、1950年(~1953)朝鮮戦争には、日本防衛線として、沖縄県内の米軍施設・区域の229K㎡とその機動力が、その強固さを発揮した。
229K㎡は、東京のJR山手線内側63K㎡の3.6倍分の面積。
1951年サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を締結。
以来、日本の領海領空領地への侵略に対する抑止力は、自衛隊と在日米軍の軍事プレゼンス(軍事展開)にかかっている。
近くは、尖閣諸島・魚釣島周辺の海底油田開発・領有権対立、南西諸島海域での中国潜水艦往来、黄海での韓国艦艇の被爆沈没、北朝鮮の中距離ミサイル飛来・通過など、東シナ海・日本海は緊張が 一段と高まっている。
基地機能、後方支援機能、部隊即応体制の強化が迫られる時期に、「2014年には 普天間基地(4.8K㎡)の全面返還」が日米の合意。
2014年 基地民有地の地主さん3030人余の念願が叶う。
普天間基地が、人口密集地のど真ん中にドーナッツのように在って危険極まりない!と声高に叫ばれる。(だが、基地周辺の草木地・サトウキビ畑に、あとから人家ができていったのだ。普天間飛行場接収時の宜野湾村人口は1万3千人。現在宜野湾市9万人)
この65年間 基地周辺には、雇用、経済、地代、補償などの因子もあって、人々と社会経済のほうが、危険(リスク)と生業・経済立地(チャンス)を承知で集積し、生活し、経済活動が成り立っている。
普天間基地が全面返還されたあと、地主さん3030人の子々孫々と宜野湾市9万人の市民生活、基地経済社会はどうなるか。観光・大学文教・国際コンベンション都市か、那覇市外延市街地化か・・。
6月23日。ことしも厳粛に沖縄戦犠牲者の慰霊祭が行われた。
【写真】普天間飛行場の北端と周辺に迫ってきて拡がる市街地。国土交通省国土画像情報から転載。
昭和20(1945)年6月23日。
日本が 本土上陸決戦防御の楯にした沖縄戦に 降伏した日。
つづいて米陸軍は、東アジアとりわけ極東周辺地域の制空権拠点と、日本本土への攻撃決戦の橋頭堡として、現・宜野湾市高台の草地・サトウキビ畑等の約500ha(150万坪)近くを接収。
(当時 宜野湾村 約3,000世帯 人口13,000人)
(現 宜野湾市 約36,000世帯。人口9万人。基地の周辺に人家が増加)
昭和47(1972)年 沖縄の日本返還まで27年間、沖縄はアメリカ統治下にあって、日本の統治権の及ばない”外国”であった。
「普天間基地481haは、2014年に日本へ 全面返還される。」
これが日米合意であり、現政権もここに立脚すると明言している。
日本復帰後42年間(敗戦降伏・強制接収後69年間)待ち続けた、サトウキビ畑の返還である。
約3,000世帯13.000人の子々孫々ン万人が待ち望んだ「時」が来る。
基地の92%が民有地。約3,030人の地主さんの年間総額65億円余の地代収入はなくなるが、土地が戻る。
アジア太平洋に展開布陣する戦略基地のひとつ、日米安全保障(日本の国防、領地領空領海侵害の抑止力)の一角が、消滅する。
敗戦後、3,000世帯が36,0000世帯にふくらむほどに、大勢の人々と事業所・施設が、ここに普天間基地があることを承知で あとから移住し、織り込まれた環境に生まれ、生活し、社会経済活動を営んでいる。
普天間基地の全面返還で、基地雇用、基地経済、基地周辺関連産業がなくなるが、騒音と墜落の危機が遠のく。
【カット写真】通称「普天間基地」米軍海兵隊の飛行場。南から北方向を見る。(宜野湾市職員組合の資料より転載)
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