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おらがムラの神社・・・比良賀神社。 由緒その2.
1200年から1203年(建仁年間・鎌倉時代)梶原景親(幼名・豊丸)が現・興禅寺に屋敷を構えて以来、代々羽黒梶原氏の居城として この地を治めていった。
その間、社領地などを寄進されるなど、梶原氏の庇護を受けた。
1370年代(南北朝時代)には、羽黒金屋に鋳物師集団が定着するようになると、金物の神「天目一個神(あまのめのいっこのかみ)」を祀った「比良賀天神」を建てるなど、大いに賑わったといわれている。
しかし、1584年(天正12年・安土桃山時代)小牧長久手の戦いの前哨戦:羽黒合戦(八幡林の戦い)の戦火で、ずべてを焼失してしまった。
1671年(寛文11年・江戸時代)に再建され、1871年(明治4年)比良賀神社と確定された。
1913年(大正2年)に神明社と須賀神社を合祀されて、
現在にいたっている。
おらがムラの神社・・・比良賀神社。
祭神は、
天照大神・須佐之男命・天香語山命(あめのごやまのみこと)。
創建年代は不詳。
言い伝えによると、河川の氾濫による田畑の被害を守るため、川沿いの6ヶ所を選んで祠を建て、天照大神・天香語山命など6柱を祀ったのが始まり。
その後1ヶ所に集められ「六ヶ所大明神」と称し、「太一大見大明神」とも呼ばれた。
太一とは伊勢神宮の別称である。
1186年(文治2年・平安時代)の「尾張国神名帳」には、
小弓の庄羽黒村 従三位 比良賀神社と記載されている。
犬山羽黒まちづくり拠点施設:「小弓の庄」の展示室。
10月5日~23日 「押し花アート作品展」が始まった。
出展者は ふしぎな花倶楽部・松葉士津代ほかの仲間たち。
これが”押し花か?”と信じられないほどに、繊細なワザ。
押し花しても色鮮やかに出来上がっているのが、ふしぎ。
初日には地元のケーブルテレビさんも取材にやってきた。
なるべくたくさんの人に観てもらいたい!とは、
企画主催者の「小弓の庄企画運営委員会」さんのPRの声。
秋。
すすきが似合う季節。
見る人 見る日 見る場所 ・・
それぞれに 思い入れが ちがうように。
その日の気分で 美しさがちがう。
すすきは すすき。
変わりは 無いのに・・。
秋晴れにめぐまれた日。
小学校の運動会。
朝から聞こえる 拡声器の音楽。
百聞は一見に如かず、とばかり出かける。
中庭から見た尾張富士の姿。
いつ どこで見ても、いいお姿だ。
校歌に詠う、その通り!
「 見る目遥けき尾張野の 小弓が庄に地をしめて
・・・
窓に聳ゆる尾張富士 庭をめぐらす八幡の
林の松の深緑 永遠に親しき友なれや
・・・ 」
(自分が通っていたころ、八幡林は500年前とおなじように、
周りはクロマツの うっそうたる松林だった。
このごろ 住宅地開発が進み、八幡神社の境内だけだが)
【羽黒小学校・校歌】
昭和10年(1935)制定
作詞: 香川 大雄
作曲: 菅原 雄宗 ほか 本校職員。