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官庁街:三の丸から、民間ビジネス街:丸の内へ
官から民へ。
国家官僚統治から民力国力・主権在民・情報ICT先端国へ。
山紫水明・肥沃な国土から世界制覇。情報革命先陣競争へ。
その”昔”、ナゴヤのまちは、本丸・三の丸を頂点に、
本町通り~宮の渡し~名古屋港への「たてのまち」
物資輸送は鉄路~舟運(堀川、新堀川)で、南北動線のまち。
武豊線笹島停車場。東海道線ナゴヤ驛。
そして東海道新幹線ナゴヤ驛。自動車王国本丸は東のトヨタ。
経済・商流・金流は、東西動線へターン。
桜通り、地下鉄東山線、都市高速で「よこのまち」へ。
産業革命、ものつくり革命時代から、情報ICT革命時代へ。
そして航空宇宙産業時代へ。
各務原飛行場~名古屋空港~中部国際空港。
尾張~美濃にかけての航空宇宙産業・研究開発都市群。
伊勢~美濃の液晶・電脳・ICT機器造りのメッカ。
グローバル国境なき情報革命の旗手が湧き立つナゴヤ圏。
南北動線、東西動線の変遷を見届けてきた「本町橋」。
グローバルにタテに発信する情報革命期を、
見届けてくれよな! 「本町橋」よ!
本町橋は 名古屋城から城下町へ。
本町通りを南下して熱田神宮・宮の渡しから、
陸路東海道へのメインストリートへの出発点。
東海道五十三次風なら、
本町橋はナゴヤの「日本橋」。
富国強兵、殖産興業の明治の国策(国家戦略ビジョン)。
瀬戸を生産集積地とする(輸出もの)陶磁器製品。
いわゆる名鉄瀬戸電といわれた鉄路は、
外堀の東側の土居下から、大津橋、本町、堀川へと、
空掘りだった「外堀」の中を通した。
本町橋では橋脚間が狭くて、
線路が4本敷かれる変則的な単線で列車をくぐらせた。
瀬戸からの輸出瀬戸モノは、終点「堀川」駅へ。
堀川(運河)に着けた荷舟に積み替え、下らせて、
宮の渡しの先・名古屋港へ。
外航船に積み替え、七つの海へと輸出された。
輸出立国の雄・陶磁器貿易の立会人が「本町橋」
本町橋は 東側に大津橋、
西側に御園橋を従えて、外堀の「主」。
名古屋城の正門:大手門から南下し、本町橋を越えれば、
茶屋町、魚の棚通りと薬粧街から繊維街などを左右に、
本町通りを真っすぐ南下し、熱田神宮から宮の渡しへ。
東海道へのメインストリートの出発点が本町橋。
城下町 商人・流通の賑わいの頂点が本町橋。
マル藤・伊藤呉服店、伊藤銀行が近くに構え、
清州越えの名のある商店が軒を連ねた。
今は、敗戦後焼け野原の復興都市計画100m防火道路が、名古屋城と本町筋の街並みを保存して、囲い込むように敷設されている。
いまどきのビジネスマンらは、地下鉄駅からも、都市高速道路出入り口からもややはずれて、往来にはちょっと不便なゾーンだという声も。
だが、本丸、二の丸、三の丸(官庁街)から一歩出て、
「国民主権、市民主権」の一丁目一番地は、
この本町橋から始まる。
<・・なにをひとりで力んでいるの?と 冷やかされた。>
所用で 三の丸官庁街から、ビジネス街へ。
本町筋の「本町橋」を渡った。
車道、歩道が整備されて、何気なく通り過ぎるところ。
酷暑日で、歩行者信号が赤になりかかったので、
外堀沿いの大木の木陰で 涼んだ。
レンガ積み造りの石橋。
明治44(1911)年7月の銘盤。
えっ 99歳! おふくろが生きていたら同い歳だ。
欄干、電灯笠も明治調。
涼をとってる間、いろいろ思い出した。
神楽保存会の大幹部が ご逝去の知らせ・・。
粛々と お別れの葬儀告別の日。
まだ中学生の頃までは、毎年氏神様の秋祭りには、
ムラの諸人集まりて・・で、お神楽を繰り出し、
笛太鼓、獅子頭に法被姿で 奉納道行きをした。
高度成長経済下、笛、小太鼓、大太鼓、舞、唄いの芸達者伝承が進めれられず、已む無く休止。
40年の空白を経て、郷土の芸能、奉納神楽を復活しよう!と先達していただいた。
復活させて10年。
小学生子ども会も全員参加のお神楽保存会活動もすすみ、
秋祭りに備えて、秋口から 毎晩 練習会が 定番となった。
核家族化時代から、二世代、三世代同居家族が増えてきた。
おじいちゃんたちと子ども会。 三世代が一緒になって、
お神楽奉納の練習会をするムラが戻ってきた。
伝承文化の復活の先達のお一人をお送りする想いは深い。
盛夏の竹林のように、若竹(タケノコ)は まだまだ修行だ。
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