カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

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本町橋 99歳 -4- (南北・東西からタテ3Dへ)

パーマリンク 2010/07/29 00:23:43 著者: モリゾー
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 官庁街:三の丸から、民間ビジネス街:丸の内へ
 官から民へ。

 国家官僚統治から民力国力・主権在民・情報ICT先端国へ。
 山紫水明・肥沃な国土から世界制覇。情報革命先陣競争へ。

 
 その”昔”、ナゴヤのまちは、本丸・三の丸を頂点に、
 本町通り~宮の渡し~名古屋港への「たてのまち」
 物資輸送は鉄路~舟運(堀川、新堀川)で、南北動線のまち。

 武豊線笹島停車場。東海道線ナゴヤ驛。
 そして東海道新幹線ナゴヤ驛。自動車王国本丸は東のトヨタ。
 経済・商流・金流は、東西動線へターン。
 桜通り、地下鉄東山線、都市高速で「よこのまち」へ。


 産業革命、ものつくり革命時代から、情報ICT革命時代へ。
 そして航空宇宙産業時代へ。

 各務原飛行場~名古屋空港~中部国際空港。
 尾張~美濃にかけての航空宇宙産業・研究開発都市群。
 伊勢~美濃の液晶・電脳・ICT機器造りのメッカ。

 グローバル国境なき情報革命の旗手が湧き立つナゴヤ圏。
 南北動線、東西動線の変遷を見届けてきた「本町橋」。

 グローバルにタテに発信する情報革命期を、
 見届けてくれよな! 「本町橋」よ!

本町橋 99歳 -3- (陶磁器輸出貿易の生き証人)

パーマリンク 2010/07/28 00:03:41 著者: モリゾー
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 本町橋は 名古屋城から城下町へ。
 本町通りを南下して熱田神宮・宮の渡しから、
 陸路東海道へのメインストリートへの出発点。

 東海道五十三次風なら、
 本町橋はナゴヤの「日本橋」。

 富国強兵、殖産興業の明治の国策(国家戦略ビジョン)。
 瀬戸を生産集積地とする(輸出もの)陶磁器製品。

 いわゆる名鉄瀬戸電といわれた鉄路は、
 外堀の東側の土居下から、大津橋、本町、堀川へと、
 空掘りだった「外堀」の中を通した。

 本町橋では橋脚間が狭くて、
 線路が4本敷かれる変則的な単線で列車をくぐらせた。

 瀬戸からの輸出瀬戸モノは、終点「堀川」駅へ。
 堀川(運河)に着けた荷舟に積み替え、下らせて、
 宮の渡しの先・名古屋港へ。
 外航船に積み替え、七つの海へと輸出された。

 輸出立国の雄・陶磁器貿易の立会人が「本町橋」

本町橋 99歳 -2-   (城下町繁盛の頭頂点)

パーマリンク 2010/07/27 00:48:55 著者: モリゾー
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 本町橋は 東側に大津橋、
 西側に御園橋を従えて、外堀の「主」。

 名古屋城の正門:大手門から南下し、本町橋を越えれば、
 茶屋町、魚の棚通りと薬粧街から繊維街などを左右に、

 本町通りを真っすぐ南下し、熱田神宮から宮の渡しへ。
 東海道へのメインストリートの出発点が本町橋。

 城下町 商人・流通の賑わいの頂点が本町橋。
 マル藤・伊藤呉服店、伊藤銀行が近くに構え、
 清州越えの名のある商店が軒を連ねた。

 今は、敗戦後焼け野原の復興都市計画100m防火道路が、名古屋城と本町筋の街並みを保存して、囲い込むように敷設されている。

 いまどきのビジネスマンらは、地下鉄駅からも、都市高速道路出入り口からもややはずれて、往来にはちょっと不便なゾーンだという声も。

 だが、本丸、二の丸、三の丸(官庁街)から一歩出て、
 「国民主権、市民主権」の一丁目一番地は、
 この本町橋から始まる。

 <・・なにをひとりで力んでいるの?と 冷やかされた。>

本町橋 99歳 (近世の文化財もの)

パーマリンク 2010/07/26 00:20:12 著者: モリゾー
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 所用で 三の丸官庁街から、ビジネス街へ。
 本町筋の「本町橋」を渡った。

 車道、歩道が整備されて、何気なく通り過ぎるところ。
 酷暑日で、歩行者信号が赤になりかかったので、
 外堀沿いの大木の木陰で 涼んだ。


 レンガ積み造りの石橋。
 明治44(1911)年7月の銘盤。

 えっ 99歳! おふくろが生きていたら同い歳だ。
 欄干、電灯笠も明治調。

 涼をとってる間、いろいろ思い出した。

盛夏の竹林

パーマリンク 2010/07/25 01:46:15 著者: モリゾー
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 神楽保存会の大幹部が ご逝去の知らせ・・。
 粛々と お別れの葬儀告別の日。

 まだ中学生の頃までは、毎年氏神様の秋祭りには、
 ムラの諸人集まりて・・で、お神楽を繰り出し、
 笛太鼓、獅子頭に法被姿で 奉納道行きをした。

 高度成長経済下、笛、小太鼓、大太鼓、舞、唄いの芸達者伝承が進めれられず、已む無く休止。
 40年の空白を経て、郷土の芸能、奉納神楽を復活しよう!と先達していただいた。

 復活させて10年。
 小学生子ども会も全員参加のお神楽保存会活動もすすみ、
 秋祭りに備えて、秋口から 毎晩 練習会が 定番となった。

 核家族化時代から、二世代、三世代同居家族が増えてきた。
 おじいちゃんたちと子ども会。 三世代が一緒になって、
 お神楽奉納の練習会をするムラが戻ってきた。

 伝承文化の復活の先達のお一人をお送りする想いは深い。

 盛夏の竹林のように、若竹(タケノコ)は まだまだ修行だ。

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地域HP犬山羽黒「ブログ塾」塾生記。晴耕雨読に暮らす。 野良仕事こそ、cultivate耕やす文化(culture)という。

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