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あっちから こっちへ。
移動は 高速道路で 東奔西走。
ちょうどお昼どき、行き交う車も やや少なめ。
いなか町から 高速へ。
おっちら走って 都市高速へ。
高層ビルが 目に入る。
わあ 街なかは 混み合ってるぞ。
明日からは また一段と寒くなるという。
この時節、ナンテンの赤い実が よく映える。
初夏に 白い花をつけたナンテン。
夏場の 緑色の実をつけたのが、真っ赤に色づいてきた。
ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリの渡り鳥が。
ひと休みするこのころ ちょうど熟す。
いや ちょうど熟したころに 渡り鳥がやってくるのだな。
用心深いヒヨドリなども キョロキョロしながら、
つぎつぎと ついばんでいく。
「難を転ずる花」は、福寿草と合わせて、
「難を転じて福となす」と、縁起もの。
興福寺 貫主の多川俊映さんの寄稿文・・:
昨今「自然と人間」あるいは「自然保護とはいかにあるべきか」など、社会の重要なテーマとしてくりかえし論じられている・・。
・・自然を人間の都合によってコントロールしようとする思惑の範囲を出ない。
自然と人間と、一体どっちが上なんだろうか。
阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災・・。
「オレ、なにも悪いことしてへんねやけど」・・。
ひとは、「自然の中の人間」である、こと。
その自然の中の私たち人間がどうあるべきか・・、
それをこそ論じたいではないか。
そう、多川さんが示すように、
時として牙をむき出し強烈に襲いかかる自然に、人間はそれが収まるまで身を縮めて待つしかない。
そういう「微細な者同士が 共に生きる」、
それが共生(ともいき)の思想だ、と。
”自然との共生”・・
これを”きょうせい”とは、なんと傲慢なことか。
ひとは「どこまでも、人間の都合など いささかも斟酌しない”自然”の中に暮らしている。イヤ、暮らさせてもらっている。
”自然の中に””共生(トモイキ)”させてもらっている、のだ。
<出典: 2011.12.17.中日新聞「人生のページ」>
間もなく 12月22日。
「冬至」
冬至の日には、ゆず湯に入って、
かぼちゃを食べると、風邪を引かないと聞く。
日の出・日の入りの方角が、いちばん南寄りとなる。
今ごろが、昼間がいちばん短かく、夜が長い。
二十四節気。
冬至・夏至を上下にすると、また ちがって見える。
(立春・立秋ばかりが 機軸ではない)
<写真> 出典「Wikipedia」
さるコンサートで、
ひさしぶりに 犬山市民文化会館へ。
ロビー正面いっぱいに 巨大な陶壁画。
あの 加藤唐九郎さんの作品だった。
作品の題は、「 蓮巴流傳 」。
振り向けば、 初冬の陽射し。
犬山祭りの車山の レプリカもあったのだ・・。