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小弓の庄企画運営委員会では、
「Web版 小弓の庄たより」を6月1日から本格運用を開始しました。
http://koyuminosho.blog16.jp/ 「Web版 小弓の庄たより」です。
随時、写真とともに活動日誌として綴ってまいります。
また、動画も取り込んで情景をお伝えします。
動画は「過去のアーカイブ一覧」から選んでクリックください。
いつでも どこでも だれでも 何度でも、ご覧いただけます。
「小弓の庄」は、旧加茂郡銀行羽黒支店を復原した建物で、明治時代の気品ある風格と、ちょっと洋風に擬せたたたずまいは、国の登録有形文化財として永く保存されていくものです。
ていねいに保全をはかる一方で、羽黒地区界隈のまちつくり、むらおこしの地域活動の拠点でもあります。
地域の市民が集い、利用し、ひろく交流する場であり、親子ふれあいの場であります。
なによりも子どもたちがふるさとを知り、ふるさとに学ぶ場でありたい。
こんな思いを込めて、小弓の庄の催事企画やロビー展示、ゆうたりとした和室での集まり、おけいこごとなどを紹介していきます。
さらに地域の美しい四季、年中行事、できごとなどふるさとの情景もお伝えしていきます。
このサイトへのご意見ご要望などを、小弓の庄企画運営委員会(広報担当)までお寄せください。
なお、インターネットでこのサイトを検索するには、
「小弓の庄たより」で検索ください。
平成25年度 梶原忌 平成25年5月19日 日曜日 薫風
愛知県犬山市 羽黒 興禅寺にて 厳修された。
”鎌倉本體の武士”と称される、梶原景時公。
源頼朝が公家の統治(権力)から、国家統治を武士が担う新しい世を造るとき、最高の参謀役として尽くしたのが梶原景時公。
政権内抗争の結果、北条氏一族が政権横取りを謀る中、謀略・抹殺の標的となった梶原景時公一族。
追放され一族抹殺を謀られ、尾張国守護であったことさえも、為政者の記録から書き換え消し去られていった。
鎌倉幕府創成期の功績は、悪の陰謀家として書き換えられ、悪役者、悪玉と喧伝された。
そこまでしなければ、源頼朝のもとに結集していった勢力の影響を消し去れなかった、ということか。
あれから800年。
いまようやく復権(名誉回復・功績再評価)の機運がはっきりしてきた。
当の北条氏政権とて、おのれの所業の罪滅ぼしなのか、
鎌倉建長寺での梶原忌が毎年行われるのを容認していた、という。
爾来 800年建長寺梶原忌は続いている。
いま 梶原景時公は、復権の世となった。
「こんな時期に きつく切り戻して、ダメじゃないか!」
近所の長老に叱られた椿の株
春先にちょっと太い枝もばっさり切り落として風通しをつくった
花の時期が終わったから、
良かれ、と思って切り戻したら やりすぎだ!という次第。
大きく樹形を整えるなら、寒の初めにバッサリやりなさい
風通しのためなら 花季が過ぎた時に小さくやりなさい・・
どうなるかと心配したが
立派な若葉を たくさん付けてくれた
樹の強さの感服
(ことしはゴメンね)
1923年 我が国初の 植物の天然記念物第1号
「ヒトツバタゴ自生地」
ヒトツバタゴの樹は 九州対馬地方と
尾北~東濃地方にのみ自生する
国道19線沿いからの里山では見かけにくいが、
すこし山郷へ入ると自生のヒトツバタゴをたまに見る。
ここ犬山市池野に自生する
7株が自生樹。
うち1株が傷んで枯れかかってきた
地元の篤農家が文化庁(農林省?)の許しを得て、
挿し木で近くに数株育苗している
そろそろ満開
あと一週間先かな
白~い綿帽子を冠ったような樹冠の姿を見せてくれる
「なんじゃもんじゃ」の樹
地元ではそう呼ぶ
この頃では 街路樹用に 苗木屋さんがせっせと育苗している
この地方では ヒトツバタゴ通りとさえ呼ばれるほどに増えてきた
あるがままの姿は 美しい
これまた ほったらかしのミカンの木
ことしは花の付きがいい。
白いつぼみがぎっしりと付く。
4弁かな (5弁かな)
香りはあまり強くない。
果樹の手入れもむつかしいなあ
寒さをまもる蔽いもしてやらないから、
霜に傷んだ花芽どころに しまった、と思っていた。
白い花がびっしりと付いた
押しくらまんじゅうをしているみたいに びっしりと。
実が付いたら 今年は摘果をしてやろう・・。