平成25年度 梶原忌 平成25年5月19日 日曜日 薫風
愛知県犬山市 羽黒 興禅寺にて 厳修された。
”鎌倉本體の武士”と称される、梶原景時公。
源頼朝が公家の統治(権力)から、国家統治を武士が担う新しい世を造るとき、最高の参謀役として尽くしたのが梶原景時公。
政権内抗争の結果、北条氏一族が政権横取りを謀る中、謀略・抹殺の標的となった梶原景時公一族。
追放され一族抹殺を謀られ、尾張国守護であったことさえも、為政者の記録から書き換え消し去られていった。
鎌倉幕府創成期の功績は、悪の陰謀家として書き換えられ、悪役者、悪玉と喧伝された。
そこまでしなければ、源頼朝のもとに結集していった勢力の影響を消し去れなかった、ということか。
あれから800年。
いまようやく復権(名誉回復・功績再評価)の機運がはっきりしてきた。
当の北条氏政権とて、おのれの所業の罪滅ぼしなのか、
鎌倉建長寺での梶原忌が毎年行われるのを容認していた、という。
爾来 800年建長寺梶原忌は続いている。
いま 梶原景時公は、復権の世となった。