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興禅寺物語 -3-

興禅寺物語 -3-

パーマリンク 2010/04/13 00:39:11 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 臨済宗 妙心寺派 妙国山 興禅寺。

 [ 興禅寺物語 -3- ]


 梶原一族敗亡の後、当山もまた衰微す。

 文明十一年(1479)天関宗鶚禅師を招請。
 妙心寺聖沢派の開祖東陽英朝禅師を勧請開山とす。

 時の梶原は、岩倉城主織田伊勢守敏広に仕えし梶原玄左衛門景綱にして、景親公(豊丸君)七代の末裔なり。

  
 梶原玄左衛門茂助景義は織田信長に仕え三千貫文の領主になるに及んで寺門大いに興隆す。

 天正小牧合戦の折、兵火の為伽藍堂宇すべて灰尽に帰す。
                                     」

【写真】興禅寺山門から。左手本堂、右手庫裡。               
*****
 [ 興禅寺 寺誌沿革などから記録として書き留め 後に備える ]

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